カラダがボロボロになった大学時代。前半のつづきです。

 

見た目健康、

その実、

カラダがしびれて熟睡できない・・・。

 

 

 

 

スポーツ選手にとって、

試合に最高のパフォーマンスが

発揮できないのは、

生きながら死んでいるような状態です。

 

 

そんな時、わたしは、

一人の治療院の女性の先生の

お世話になるようになります。

 

 

わたしのカラダを診るなり

 

「あー、かわいそうに。
筋肉がすっかり痩せてしまっているわ」

 

と。

 

体調が整わないまま、

試合に出つづけている状態でした。

 

 

「あなた、3日に1度 きなさい」

 

と途中から言われましたが、

そんな治療費払えません。

 

 

そうしたら、

「その代わり、うちのおそうじをしてちょうだい」

といってくださいました。

 

 

赤の他人に

そんなことを言われ、

なみだがでそうな思いでした。

 

東京で、わたしの辛い悩みを

カラダを通して、理解できる人と

出会ったのでした。

 

それから、3年間 しょっちゅうお世話になりました。

 

 

4年生頃は

ただ、治療でお世話になるだけでなく、

 

一緒に、当時、銀パリという

シャンソンが聞けるお店がありました。

 

そこまで、ジョギングして行ったり、

 

銀座でステーキを食べにジョギングで

行ってみたり。

 

 

ハーフマラソンの大会に一緒に

出場したり。

 

丹沢の山登りを一緒にしてみたり。

 

お正月も帰らず、

箱根駅伝の追っかけをしたり。

 

 

オモシロイものの見方、

とらわれない行動など

体験をさせてくださいました。

 

就職試験前、

「あなた、東京に残りなさいよ」とも

言われました。

 

 

 

 

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( 治療院の先生と )

※先生とは、その後もお付き合いを続け

  東京に行くときは、必ずお会いしていました。

 

 

 

 



就職は、かなり迷いました。
当時、この大学はほとんどが教職を希望する状況でした。


わたし自身は、ひたすら陸上競技に打ち込んできて、
自分自身をしっかり見つめる事も
ない状態で 
安易に教師を選択していいものかと。



こころざしがなさすぎるように思えました。


また、走ることが特技を生かすには違いはないけど、
本当はどんな自分でありたいか?


そういうことが、良く見えていませんでした。
 



でも、しかし・・・

 


まず採用試験に受かることは難しいよね。

採用は県で女子は1~2名だし。


田舎の両親にも、
試験に落ちたら東京にのこっていいとの
許可をもらい採用試験を受けました。

 



ところが・・・

結果は合格。



逆に、こんな自分が教師になる
資格があるんだろうかと
合格通知を前に悩んでしまいました。
この時、思ったこと。



これは、神様の計らいだ。


自分の人生は全部自分で決まるものではなく、
運や縁なんかがあるのだろう。


この合格も神様の意志だと思って、やれるだけ頑張ろう。


出会うでろう子供たちに恥ずかしくない先生になろう・・・。
そんな、気持ちで社会人のスタートを切りました。
 

 

 

 

(※大学時代は、リレーでの日本選手権優勝

                       リレーでの全日本インカレ優勝

           インカレ総合優勝

           個人では、400mの5位が最高だったような・・・

           4年では主将をまかされました。)

 

 

 

 

 

東京での大学生活は

なんだか 甘酸っぱい、
でも宝物のような時間でした。

 

 

 

つづく