まず前回の謎の恐怖感についてだが、記事を書いた事で頭の中が整理されたのか、今まで考えもしなかった可能性が、初めて閃いた。それは、あの時、エレベーターの前で会った女性は、既に亡くなった女性の亡霊だった、という解釈だ。北海道の交通事故で亡くなった後に、場所と時間をさかのぼり、厚木工場の私を含む複数の人達に挨拶に来てくれたのかもしれない、という意味。霊体だから少し赤く見えたのであり、それを本能的に感じ取り恐怖心が生じたのだろうが、知人の霊や霊体がそんなに不安や恐怖心を煽るかな、少し不自然では、という疑問は残る。

またこの解釈では、亡くなった人の霊や霊体は時間を逆行できる量子力学的な存在、という結論になるが、これも果たしてそうだろうか。

勿論、以上はすべて、亡くなった人の霊や霊体が少なくとも短期間は死後にも存在できる、と仮定した場合だけの話になる。

前回の説明と今回のこの解釈とどちらが正しいのか、あるいは両方とも間違いで、気のせいと交通事故が短期間に連続しただけなのか、私にはわからない。

いずれにせよ、あの時、女性の姿が少し赤く見えたために私がまじまじと見つめてしまい、エレベーターのドアが閉まる直前に、女性が少し微笑んだのは確かだ。その最後の瞬間、気分を害してないといいが、おそらく大丈夫、とも感じた。

リタイア生活で暇なせいもあるが、最近、昔の事がよく思い出される。私の寿命が終わりに近づいている証拠かもしれない。

さて、今回は、やはり昔話をまじえて、アクションゲームについて記述します。

勿論、アクションゲームはTVゲームの一種のこと。

1970年代後半、私が物理学専攻の学生だった頃、週末には一人で喫茶店にいって、コーヒー一杯注文し、店に置いてある週刊の漫画雑誌や漫画の単行本を読んで過ごすことが多かった。当時の喫茶店は今のチェーン店のコーヒーショップではなく、個人営業の店がほとんどで、こじんまりとした落ち着ける店内に漫画雑誌や漫画の単行本が必ず置いてあった。今でいえば小規模なマンガ喫茶に該当するのだろう。

その喫茶店のテーブルに変化が現れた。テーブルがコンピュータのゲーム機に変わったのだ。最初はブロックくずし、その次はインベーダーからパックマンへと変化していった。

私も試しに遊んでみたが、すぐゲームオーバーになる。

この手のゲームは苦手だな、というのが学生時代の感想だった。

その後、80年代前半になって家庭用ゲーム機のファミコンが発売された。社会人になっていた私も購入して試してみたが、そのファミコンの代表的なゲームソフトのスーパーマリオもすぐにゲームオーバー。

この時も、私はアクションゲームが苦手だ、と再認識した。

それはスーパーマリオだけでなく、既に名前は忘れたが代表的なレーシングゲームでも同じだった。

それ以来、私はアクションゲームはすべて回避してきた。

とはいえ、TVゲームは何も遊ばなくなったのではなく、アクション性がなくて弱い敵を倒し続けて経験値を増やせば、強い敵やボス敵も倒すことが可能になるというRPGというジャンルのゲームがあることを知って、RPG専門に遊んできた。

ドラクエ(DQ)やファイナルファンタジー(FF)等の新しいRPGのゲームソフトが発売されると買ってきて、自分のペースで少しずつ敵を倒してゲームのキャラクターをレベルアップし、最後のボス敵を倒せれば終了し遊ばなくなる、というパターンを繰り返していた。

ただRPGも少しずつ変化してきた。その一つがアクション性が追加されてきたこと。

例えば、必殺技にコントローラーの特定のボタンを連続して押させるとか、戦闘中のジャンプやワープ等。

私個人としては困った変化で、特定のボタンを連続して押す必要がある必殺技は全く使わなかった記憶があるし、ジャンプやワープ等の使用は必要最小限にとどめた。

ゲームメーカーもアクション的な操作が苦手なユーザーがいることを予想してか、工夫を凝らしてきた。ゲーム中のバトルの難易度が設定可能となって、イージー、ノーマル、ハード等の選択肢が選べるようになった。

例えばFFシリーズでは、FF15やFF7Rはかなりアクション性が高い操作が必要とされるように私は感じたので、両方ともイージーモードで始めた。

昨年の秋頃、FF15もFF7Rも私の能力の範囲内では遊び尽くした状態になり、新たなゲームを探していたことろ、NieR:Automataが候補に挙がった。このゲームは以前にも注目したことがあったが、そのジャンルがアクションRPGになっていたので、アクションゲームが苦手な私は回避していた。そこでもう少し詳しくネットで調べてみると、NieR:Automataにもイージーモードがあることが判明。イージーモードなら私でも物語を進められそうだと思って、ダウンロード購入した。

実際にNieR:Automataをイージーモードで始めてみると、確かにバトルは問題なく進められるが、移動に困ることが多かった。例えば、木や崖や建物をよじ登る際やビルの屋上から屋上に飛び移る際等で失敗を繰り返すはめになる。一般的に10回試みても1回程度しか成功しない。まったく成功の見込みがない状況も多かった。

攻略本やネットの攻略動画を参照しても大差ない。

そこで改めて私がアクションゲームが苦手な原因を考えてみた。

確かに私は手が不器用で、パソコンのキーボード入力をよく間違えるのと同様に、ゲームコントローラーのボタンをよく押し間違える。だが問題はそれだけではない、むしろより本質的な問題はタイミングとリズムをとるのが苦手な点にあった。

私は小学生の頃から運動やスポーツが苦手、楽器もひけず、芸術的なセンスもない。それらの原因の一つも、タイミングとリズムをとるのが苦手だったからだ。

スポーツや芸術等に関しては、それ以外にも、運動神経や視力、聴力、色と形状に対する感覚、音感、嗅覚、味覚、平衡感覚等も必要だが、まず第一にタイミングとリズムを上手くとる能力がないと何も始まらないのではなかろうか

東京オリンピック2020で新競技として採用されたスケートボードも、タイミングとリズム感とバランス感覚のかたまりのようなスポーツだろう。

書道だって、いいタイミングでリズムよく筆を運ぶ必要がる。勿論、私の手書きの文字は極端に汚い。

そしてタイミングとリズムを上手にとれる能力は教えられるものではなく、生得の能力だと私は思う。

子供の頃から、私は計算や記憶力が劣っていたのに加えて、タイミングとリズムを上手くとることは勿論、優れた運動神経や鋭敏な感覚等もなかったので、スポーツにも芸術にも学問にも縁がなく、本当に何の才能もセンスも取り柄もなかった。

さらに私はひねくれた性格だが、自分の性格と適性にあった無理のない努力を続けてきた結果、大学卒業後も約30年間働くことができ、その後すぐにリタイア生活を送ることも可能になった。

物理の数式やプログラミングが少しだけ出来たのは、私の場合、生まれつき才能があったからではなく、たんに継続した努力の成果にすぎない。

私のひねくれた性格は、具体的には変人かつ人間嫌いを意味し、当然ながら、結婚にも出世にも縁がなかった。

ずっと独身の一人暮らしで衣食住に金をかける方ではなく、あまり酒も飲まないしギャンブルにも興味ない、出不精なので車の普通免許さえ持ってない、趣味も読書やゲーム等で金がかからない。という訳で、高額の宝くじの当選や遺産相続や株の収益等とは無縁だが、結果的に金が自然にあまって複数の不動産の賃貸物件を購入できた。

そしてその賃料収入でリタイア生活を送っている。ただ銀行口座の残金が気にならなくなったのは、三年程前に賃貸物件の最後の住宅ローンを完済した後だった。

さてアクションゲームに戻ろう。

確かにNieR:Automataでの移動には苦労し、その結果、取れないアイテムやクリアできないクエスト等があったが、一応、A~Eエンドまでは辿れたので、私としては満足している。

FF15でもタイミングよく連続ジャンプできない為に取れないアイテムは数多いのに加え、マグロが釣れない為に鮨のレシピが習得できないし、他にも魚が釣れない為に覚えない料理レシピもある。釣り自体、半分以下の種類の魚しか釣れていない。当然ながら、FF15の別売の釣りゲームは購入しなかった。

FF7Rもダーツやダンスの本番、バイクのハードモード、スクワットや懸垂の上級では勝てる気がしない。

上記はすべて完全に諦めた項目で、再挑戦する気はない。

私にとってゲームは、読書やテレビと同じで、趣味や娯楽つまり暇つぶしの一つでしかなく、軽く、のんびり、マイペースで楽しめればそれで十分なのだ。

私の残りの寿命が少ないとしても、生きている限りはリタイア生活で時間は十分にあるし、賃貸収入と厚生年金のおかげで遊びに使える金も以前と同じように確保できている。だから無理をする必要は何もない。

何事にも終わりがある、それが自然の摂理。

つまり終焉を気にする必要はなく、その時が来るまで淡々と日常を生きればいい。