私が摂食障害になったのは、小学3年生の頃。
摂食障害にも、いろんな病状があって私の場合、「拒食症・過食症」ではなく
嘔吐恐怖症。
発症したのは小学生だったけど、病気だと気付いたのはずいぶん大人になってからだった。
私が小学生の頃は「給食は残さず全部食べましょう」っていう時代だった。
今の小学生は「嫌いなものは無理しないでいいよ」っていう時代みたい。
私は、好き嫌いも多くて食べる早さも遅かったから
毎日みんなと「ごちそうさま」が出来なかった。
ひどい時には放課後まで食べさせられてたな・・・(ノ_・。)
そんな私を、ある先生は
「無理しないで残していいよ。」
と、言ってくれる先生もいれば、
「全部食べるまでずっとそのまま!!」
と、怒る先生もいた。
怒る先生は、保健室の養護教諭だった。
私は、その先生の標的にされた。
みんなの「ごちそうさま。」の挨拶と共に私の隣に座り、「いつまで食べてるんだ。早く食べなさい。」
って罵る。
その言葉しか、先生は言わない。
後はずっと、私の食べる姿を見ている。
ある日、食べるのが遅い私を見かねた先生が、私の口に無理矢理
食べ物を押し込めた。
抵抗も出来ず、私は嘔吐してしまった。
嘔吐した私を先生は、
「吐けば許されるもんじゃないよ!!」と冷たい言葉を放った。
それから、毎日、先生の行動はエスカレートしていって、
周りの先生が止めに入っても「これは教育です。」と言った。
私は勉強をするために学校に来てるのに、給食までもが教育の一貫なら
そんな学校には行きたくないと親に相談したが、親は聞いてくれなかった。
たかが、「給食」・・・。
でも私にとっては大きな問題。
夜になると明日のことを考えただけで眠れず、夜空に向かって泣きながら神様にお願いをした。
~どうか、明日は給食を残さず食べれますように。。。~
朝になると、お腹が痛くなって吐き気がして学校に行きたくないと思った。
それでも、親は私の我がままと決めつけ、家から追い出すように学校に行かせた。
学校に行きたくなくて、何度も通学中に家に戻り、裏で隠れていた。
私が学校に行ってないことを聞いた親は、初めて私の悩みを聞いてくれた。
その後、私の登校拒否、給食問題について職員会議で議題になった。
養護教諭は、注意を受け、私の問題は少し解決された。
と、思っていたのに・・・。
今度は、「無視される・厳しい態度をとる」という問題に変わった。
他の人には笑顔で挨拶してるのに、私が挨拶しても先生は無視。
部活のコーチでもあった先生は、私にばかり注意をしてくる。
完全に私は標的にされていた。
3年から始まり、卒業までの3年間
私は登校拒否を何度も続け、先生の行動にも耐え、
受けた傷を癒すことなく逃げるように卒業した。
先生を心底、恨みながら・・・・。