絽の羽織とか、ドラマや小説に登場する着物♪ | あんねてのきもの日記

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ふだんのきものについて、出会った花々についてあれこれをつづります。

 

                

 

伊藤野枝のドラマが3回連続で放映されるというので、先日第一回目を観た。

ドラマの内容もさることながら、髪型や着物に目が行ってしまう。

女学校の場面では、どんな髪型でどんなリボンを付けているか?どんな着物にどんな半襟や袴を合わせているか?興味津々で観た。

平塚らいちょうは華やかに、伊藤野枝は貧乏だから素朴な格子の着物で着丈も子供のように短かったり……

これからも着物を観るのが楽しみだ爆  笑

 

ところで、最近読んでいる夏目漱石の「それから」、1909年・明治42年の発表だから、100年以上前の作品である。

主人公の大助は裕福な家に育ち、大学を出た後も仕事をせずに書生とばあやを置いた家で暮らしている。月に一回青山の実家へ生活費を貰いに行く。

 

急いで実家に行く用事が出来たときは、【鳥打帽を被かむって、銘仙の不断着のまま門を出た。】

 

後に、妻にする親友の細君美千代が、大阪から東京に戻ってきて【 三千代は手拭を姉ねえさん被りにして、友禅の長襦袢をさらりと出して、襷たすきがけで荷物の世話を焼いていた】

 

その引っ越しの手伝いに駆り出された、大助の書生【 門野は袴はかまを脱いで、尻を端折て、重ね箪笥だんすを車夫と一所に座敷へ抱え込みながら、先生どうです、この服装なりは、笑っちゃ不可いけませんよと云った。】

【何時の間にか、人が絽の羽織を着て歩く様になった。】

 

親から勧められている縁談相手の令嬢が実家に来るというので、いやいや」出かける時【  代助は婆ばあさんを呼んで着物を出さした。面倒だと思ったが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重ひとえのがなかったから、家に行って、父か兄かのを穿はく事に極めた。】

 

などと出てくる。

当時の上流階級の着物事情がなかなか楽しい。

いやいやながら令嬢に会うので、そうか、紋付きの羽織を着るのねニコニコ

 

ところで、冒頭の写真は、透ける素材の長コート。内側はレインボーに輝いていて、なかなか楽しいコートだったのだが、暑いのでWEショップに寄付してしまった。フルレングスに近い長コートだったので、4月頃着ればおしゃれだったかもしれない。

 

   

       レースの道行きコート        

 

                    

                                紗の道行きコート

 

この2枚の道行きは、羽織丈で、4,5月頃たまに羽織ることがある。                   

 

「それから」で、世間が絽の羽織を着始めたのが何月とは書かれていないが、明治時代はいつ頃から絽の羽織を着たのだろう?

今より夏も涼しかったろうと思うけれど。   

 

 

         

これは私の紗の羽織を、友人に貰って貰い、友人がブラウスの上に着ているところ

             

 

                

        内輪で食事をするとき、汚さないように羽織る為だけに買った紗の道中着

        これ、気の置けないお店では羽織ることがある

        水道橋の「かつ吉」でも羽織った

 

              

                      道中着のアップ

 

なつです、いつもご訪問ありがとうございます♪
                                             

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