週の真ん中はたぶん水曜日。​


 おはよう。



 

 月火木金 土日はおまけ。


 今日はどうしようかね。

 何をしたら最善だろうかね。


 「今日がもし人生最後日だったら何をしたいか」とかと考えると本当の望みが出てくるとかいう説あるけどさ、あれ意味分からんな。


 今日は恐らく人生最後の日ではないし。仮に最後の日だったとしたらふつーにいつも通りのスケジュールをこなせればそれで良い。今の生活で満足している。


 今の生活に満足出来ていないところから、生活を改善しようとしない方が良いのだと思う。今に満足した上で目標とか夢なんていうものは設定するべきである。


 マイナスの状態にある時はまずゼロまで引き上げるところから。ゼロになったらその先に夢がみえてくる。





スプーンフォーク


 今ファミレスにいる。他のお客さんの会計中、レジにお札が詰まったと言って「少々お待ちください。」と言って、スタッフがうらに行った。私物のスマホを持ってきて電話をかける。「すみません、今レジが、、」と言ってやり方を指示されている。店にいるのはおそらくパートの人。電話相手は社員だろうか。夜22:30に電話をかけて速攻で電話に出る相手がすごいなと感心した。店が営業している限りいつでも電話がかかってくる立場って大変だ。この店、コロナ前までは24時間営業していた。今は朝7時から23時まで。23時でも十分遅いとは思うけれど、こういう場面をみると24時間営業でなくなって良かったなと思うものだ。


 以前自分がコンビニで深夜に1日の精算業務をしていた時、同じようによく店長に電話をかけていた。レジのお金なんていうのは合わないのが常である。深夜0時過ぎにかけた電話でも必ず店長は出てくれたし、遅い時間にかけているのに一度も嫌そうな対応はされなかった。


 最近知り合いが亡くなった。24時間365日働いているような人だった。電話を片時も手放せず、夜中も休みも関係なく仕事をしていた。どうみても身体は大丈夫そうではなかった。勤怠上はしっかり休んでいることになっているのだ。過労死と認定されはしないけれど、どうみたって働き過ぎであった。


 あらゆる人の少し過剰なくらいの労働によって今の私たちの生活が成り立っている。便利になったようで、それでも労働量や労働時間は減っていない。便利さと引き換えに失ったもの、変わらないもの。どうしても「最善には思えない」ようにみえてしまう今のこの社会をどう捉えるのが正解なのかといつも考える。



🌔


 目の前の現実は自分の内面を表している鏡の世界にすぎないのだとしたら。


 社会に対して思うことは自分に対して思うことなのだろうか。「このクソみたいな社会」と思っている分だけ、自分の悪い部分にも意識がいっているとうことなのだろうか。


 社会に対する憤りがゼロになった時が自分び対する否定もなくなるのであろう。


🌍


 一生懸命働いている人をみるのが好きだ。夜中に電話をかけられても直ぐに対応出来る社員は「かわいそう」ではなく「美しい」「全力で生きている」。そう捉え直しが出来た時に自分のみえている世界が変わる。




​穏やかさを取り戻す。


 絶賛交通安全キャンペーンを実施中。


 法定速度を守っていい。踏切は3秒止まっていい。急がなくていい。


 少しでも早く、効率よく、急いで。そんな意識があったことに気がついた。


 早く着くためには30キロ道路も速度超過して急ぐ必要があったし、効率よく生きるためには信号待ちでメールの処理をする必要があった。信号も黄色だったら止まらずそのまま突っ切る必要があった。


 そんな意識を手放して、潜在意識に「急がなくていい」を入れてみた。


 今日1日はとても穏やかに運転をすることが出来た。速度を守って移動したら普段は裏道ぶっ飛ばしで行っているお客さんのところに遅刻したけれど、怒られなかったのでこれで良しとすることにした。


 急がなくて良いというのは素晴らしい。なんだかとても心が軽くなった。今までが急ぎすぎていたことを省みて、しばらくはゆっくり運転しておこうと思う。




 おやすみなさい立ち上がる