志を受け継ぐ弟子
翌20日午後、山口文化会館の開館記念勤行会が行われた。
席上、伸一は、あの「山口開拓指導」が、師弟の一瞬の呼吸で始まったことを述懐し、述べていった。
「山口は私にとって、大切な広布開拓の故郷です。20年前、拠点となる会館は一つもなく、各地に点在する会員も、皆、貧しかった。しかし、今や、こうして、立派な文化会館も誕生し、山口県創価学会は、盤石な布陣が整いました。
20年前に、皆さんと共に蒔いた種子は、山口の各地で花開き、そして今、見事に実を結んだんです。
戸田先生は、よく『20年間、その道一筋に歩んだ人は信用できるな』と言われた。
20年といえば、誕生したばかりの子供が成人になる歳月です。
信仰も、20年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの境涯になります。
また、地域広布の様相も一変させることができる。
しかし、それには、人を頼むのではなく、”自分が立つしかない”と心を決め、日々、真剣に努力し、挑戦し抜いていくということが条件です。
ともかく、『何があっても20年』-これを一つの合言葉として、勇敢に前進していこうではありませんか!」
開館記念勤行会に続き、伸一は山口大学のメンバーと懇談した。
さらに夕刻、地元幹部の要望で、1877年(明治10年)に創業した料亭「菜香亭」を訪問した。
菜香亭は地元の誇りでもあり、かつて、木戸孝允や伊藤博文、山県有朋などの明治の元勲も足跡を残している。
伸一が訪れた5月は、木戸孝允の没後100年に当たっていた。
木戸が師事したのは、松下村塾を開いた吉田松陰である。伸一は、維新回天の志士を育てた松陰について、戸田先生とよく語り合ったことを想い起こした。
「共戦」の章では、松陰の弟子たちが、刑死した師の志を受け継ぎ、明治維新を成し遂げていった歴史を通し、こう書かれている。
「学会も、広宣流布という戸田城聖の志を、伸一をはじめとする弟子たちが受け継ぎ、実現してきたからこそ、大いなる発展があった。
伸一は今、自分の志を受け継ぐ真の弟子たちが、この山口の天地から陸続と育ってほしいと、心の底から思い、願うのであった」