edihの昭和音楽よもやま話

60~70年代を中心に、音楽にまつわる話をアップします。


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加瀬邦彦さんが亡くなったと聞いて驚き、翌日自ら命を絶ったことを知り、まさかそこまで追い詰められていたかと思うと、言葉が出ませんでした。

加瀬さん言えば、ワイルドワンズのリーダー、沢田研二さんをはじめいわずとしれた名作曲家。
他に、元ブルー・ジーンズというのはわかるが、スパイダース出身と聞いて「おやっ?」っと思われた方も多いのではないだろうか。


加瀬さんは62年に友人の紹介で"清野太郎"氏が率いる「キャノンボール」というバンドにサイドギターとして参加。
夏には清野氏と入れ替わりに"かまやつヒロシ"氏が加入、加瀬さんはリードギターにとなった。
アメリカンポップスをレパートリーに2人は意気投合、ギターを弾きながらステップを踏んで踊るステージを踏んでいた。

岩倉スキー場でのバンド仕事を終え、2人は仕事の入っていない3日間を岩倉に延泊し休暇を楽しんた。その間に東京でバンドの仕事が入ったものの、2人と連絡が取れずに仕事はキャンセル、所属プロの堀社長が責任をとる形でバンドを解散させたのだ。
2人がまだラウンジバンドとして人気もパッとしない"スパイダース"行きとなったのは社長命令からだった。

加瀬さんが参加した63年には大野さんと、
専属歌手として孝之さん、堺さんがいた時代の頃。あの"栄光の7人"のメンバーが揃うのは64年末。元スパイダースといえども有名になる前の在籍であった。
加瀬さんは入団後スパイダースの音楽の方向性に疑問を持ちはじめ、わずか2ヶ月の在籍でブルージーンズへ引き抜かれる格好で移籍した。


最後に加瀬さんの作品で印象深い一曲。
69年の2月に発売された

「赤い靴のマリア」



68年秋からGSブームが一気に衰退し各バンドが試行錯誤しはじめる69年。ワイルドワンズもベースの島英二氏をメインボーカルに新風を送るべく起用、ワンズサウンドにして初めてと言っていいほどのマイナー曲であった。 デビュー以来プロデューサー的な存在でもあった加瀬さんは、納得の上の作品なのか、事務所の意向で作らされた曲なのかと色々と思う。 川口氏のダイナミックなアレンジも、最後のワンズのパワーを盛り立てる。 「想い出の渚」以降数々のワンズの名曲のなかで、69年にリリースしたこの曲を聴いながら、加瀬さんのご冥福をお祈りしたい。
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