edihの昭和音楽よもやま話

60~70年代を中心に、音楽にまつわる話をアップします。


テーマ:
80年の1月1日のめでたい日に発売された沢田研二さんの29枚目のシングル

「TOKIO」


(作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦 編曲:後藤次利
 ご紹介するのは、SPアルバムMixテイク)

この曲は全シングル「ロンリー・ウルフ」の間の11月に発売のアルバム「TOKIO」からのシングルカット。以前の「OH!ギャル~ロンリー・ウルフ」で書いたが、「ロンリー・ウルフ」をシングル曲に決める際に加瀬さんがプッシュしたのがこの「TOKIO」であった。

はじめて聴いた時、「(作曲は)大野さんじゃないな・・・、加瀬さんだろうな」
と感じた。2年半の間続いた阿久+大野コンビの"お前"に愛を語る歌ではなく、久々日中、燦々と太陽をと浴びるようなメジャー調な曲。沢田さんらしさが戻ってきた嬉しさ反面、もう暫くは大野さんの作曲はないなと残念な気分にもなった。

アレンジは「ロンリー・ウルフ」に続いて"後藤次利"氏。オクターブ奏法のベースも後藤氏で、アルバムも全曲アレンジ。時代にマッチしたテクノサウンドに、極めつけの電飾の施された衣装とパラシュートにはぶっタマげた。
(ひょうきん族の「タケちゃんマン」の衣装はTOKIOからですぞ)


ダンディで攻めた70年後半から、80年代は再び加瀬さんの曲で、"早川タケジ"さんの衣装、メイクでギンギンギラギラとエンターテイメント化していくんだろうなと感じていた。沢田さんらしいと思ったものの、堯之バンドの演奏で聴く「TOKIO」は違和感を感じていた矢先、

週刊明星2/10号の

「井上堯之バンド突如解散!」

の見出しが目に飛び込んできた。

記事によれば、
「2~3年前から解散を考え、沢田に12/6に解散の意を伝えた」
と堯之さんのコメントがあった。
バックバンドとしての活動と堯之さん、大野さん個々の活動そしてウォーターバンドとしての活動の両立が難しくなったのが原因とされていた。
それなら歌番組のバックはカラオケでいいとして、沢田さんのライブは堯之バンドと活動して欲しいと思った。沢田さんの歌は堯之バンドの演奏でさらに生えるし、堯之バンドの最高のヴォーカルは沢田さんなのだから。

1/24の日劇のステージが沢田さんと堯之バンドのラストライブで、沢田さんは最後に、「メンバーがいたからこそ、なんとかここまでやってこれた。大変な贅沢を今までさせてもらった」とファンに話している。27日の沢田さんのTV出演を最後に井上堯之バンドは解散した。


91年になって、BSで「沢田研二25周年スペシャル」がOAされた。エスカレートしていったヴィジュアル化について堯之さんはインタビューで、
 
「あ、そう、すげぇな。そこまでやるって、言葉しか出ませんから・・・・。あそこから先は(ファンや業界に対して)もう、言い訳できない。」と。そして沢田ファンから「あれだけはやめさせて!」などと手紙が沢山堯之さんのところに届いていたことなど当時の苦悩を語っていた。

「でも、沢田もそういうことは百も承知なはず。ただあいつは背負っているわけですよ。背負ってるから僕らは何も言えない・・・。」と、沢田さんに対しての思いを話していた。

70年代後半大野さん作曲の作品で、音楽的なプロデュースは堯之バンドの面々がメインなところがあったが、長年プロデュースを行ってきた加瀬さんが、トータルプロデューサーとして返り咲いたと私は感じていた。シンガーとしての沢田さんを理解しているは堯之さん、大野さんで、スターとしての沢田さんをわかっているのは加瀬さんであろう。そんな気がしてならない。

沢田さんはより歌謡界で輝き続けるために新たなサウンドとヴィジュアル化を選択した形になった。その選択は80年代の活躍を見れば正解であっただろう。

「TOKIO」
沢田さんが新たなスタートを切った曲だが、私にとってはこの曲を最後に、"堯之バンドの解散"となった悲しさが交差する複雑な思いの1曲でもある。

(文中敬称略)

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