edihの昭和音楽よもやま話

60~70年代を中心に、音楽にまつわる話をアップします。


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69年秋、フィリップス所属の"森山良子"さんが日本人初のアメリカ「ナッシュビル」で海外でアルバムをレコーディング、続いて"ザ・テンプターズ"が「メンフィス」でレコーディングするといった、当時は画期的なアルバム制作を行った。

今ではポピュラーなことだが、海外進出も当時は次元の違うことで(一応、名目上はスパイダースとブル・コメが海外進出したにはしたのだが・・・)アルバム制作も珍しいことであった。

GSブームも急降下し、グループ活動と並行してメインボーカリストのソロ活動が目立ちはじめるなか、69年12月1日、タイガーズの沢田研二さんのソロアルバム「JULIE」が発売された。「テンプターズ・イン・メンフィス」は12月20日の発売だが、それに先行してシングルカットされたのが、

「Everbody Needs Somebody」

 

 

君のいない

 

(作詞、曲:Bob Mcdill 訳詞:松崎由治)

スパイダース、テンプターズの原版を管理していた「シンコー・ミュージック」が契約していたアメリカの出版社の契約ライター"Bob"のペンによるもの。ジャケットをよくみると、「唄)萩原健一」となっている。実はこの曲(アルバム曲も)現地の有名ミュージシャンによりもので、テンプターズのメンバーは参加していない。(松崎氏は1曲のみ参加しているが・・・)

小学生の時、このシングルを買って聴いたときは、海外録音などよくわからなかったが、今までのテンプターズの演奏とは違うのはなんとなく感じた。萩原さんのカタカナ英語も萩原さんらしいかった。



奇しくもライバル「タイガース」の沢田さんも12月にソロ・アルバム「JULIE」を発売。69年後半GSブームも急降下のなかでGSと並行してメイン・ヴォーカリストのソロ活動が目立ちはじめた頃、テンプターズの海外録音アルバムというよりは、実質"萩原健一・ソロ・アルバム"であり、ここで両雄がソロ名義で出揃ったことになる。

B面は「君のいない世界」

 (作詞:なかにし礼 作、編曲:川口真)

70年にかけて、テンプターズには重要なコンビの作品。特に暗く気怠いサウンドは萩原さん独特の世界が漂う。
女性のコーラスは当時少々不気味だったが、けして重苦しくならないホーンやギター、当時日本にはなかったベースラインは、あまり話題にならなかった海外録音であったが、その後のテンプターズサウンド、萩原さんの歌唱など、影響するターニングポイントになったのではなかっただろうか?


(文中一部敬称略)
 

 

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