edihの昭和音楽よもやま話

60~70年代を中心に、音楽にまつわる話をアップします。


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本城和治氏は、60年代GSの宝庫「フィリップス・レコード」のディレクター。

65年、成毛滋氏が在籍した「ザ・フィンガーズ」のレコードをプロデュースするが、エレキ・インストだっためお蔵入り、本社から「歌入り」のレコード製作を命じられたという。65年10月にクラウンより「フリ・フリ」でデビューした

「ザ・スパイダース」

シンコーミュージックから、世界に販売網を持つフィリップス・レコードへ移籍の打診があった。
「日本でも成功出来る要素があって、海外にも進出出来る可能性がある。
そういう意味ではうってつけの素材」と、オリジナルの「トーキョー・サウンド」で(リバプール・サウンドに対抗したネーミング)66年2月シングル「ノー・ノー・ボーイ」、4月に全曲オリジナルの1stアルバムが、またアメリカでもシングル「ノー・ノー・ボーイ」が発売された。

 

 

 

no-no-boy
 
66年4月ある外人歌手用にデモテープに録音したマイク真木氏の歌声が気に入り、急遽販売した「バラが咲いた」が大ヒット。続いて「ザ・ブロードサイド・フォー」の解散記念に製作した「若者たち」もヒットし、そろそろスパイダースにもヒット曲をと「夕陽が泣いている」が用意される。
 
オリジナルで通してきたスパイダースは勿論、本城氏も「夕陽」の販売には抵抗あったという。
オリジナルの3枚のシングルもそんな売れてなかったしね。でも、「夕陽」なら間違いなくいくだろう、って確信はありましたね。でも、イントロ。あれは井上堯之が考えたと思うんだけど、あれを聴いたとき、安心したんですよ。これだったら大丈夫かなって。」と回想している。
 
「夕陽が泣いている」のギターではじまるイントロは、堯之さんがいかにロックっぽくするか考えに考えた末のものだったいう。
 
販売するやいなや「夕陽が泣いている」は大ヒット。スパイダースの成功により、68年にはフィリップスから続々とGSがレコードデビューする。
 
本城氏のモットーはメンバーのオリジナル作品で、メンバーによる演奏し作り上げていく方式であった。(曲調によっては完成した録音に、ストリングスなどを
プロの作家により重ねていった)
他のレコード会社の殆どのGSがプロの作家の作品、スタジオミュージシャンの演奏に歌入れする歌謡曲のパターンでの製作をするなか、あくまでバンドとしての音にこだわり、GSサウンドたる魅力、存在価値を追求した。(本城氏もキーボードでレコーディングに参加、またカーナビーツの「恋をしょうよジェニー」では自ら作曲することもあった。また、歌謡曲寄りの筒美京平氏よりも、新鋭の村井邦彦氏やアレンジャーに川口真氏や瀬尾一三氏を起用したのも見逃せない)
 
GS崩壊後の70年代に入り、「ミッキー・カーチス&サムライ」や「ストロベリー・パス」「フライド・エッグ」など、「ロックは商売にならない」と、他レコード会社が敬遠がちだったロックの数々のアルバムをフィリップスから販売している。このロック創世記のアルバムは現在CDで再発され、今でも、本城氏が製作した貴重な音源を聴くことができるのだ。
 

 

河童

 

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