edihの昭和音楽よもやま話

60~70年代を中心に、音楽にまつわる話をアップします。


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79年5月に発売の「OH!ギャル」は、約3年間続いたシングル曲9作目の阿久+大野両氏のゴールデン・コンビの作品。しかしお2人のコンビもそろそろ底をついてきたような気がした。
「ダーリング」は"朝昼晩"「OH!ギャル」は"月火・・金"と歌詞が単調な上、今まで男性優位な詞なのたが、沢田さんも好まなかった女性上位的な「♪女は誰でもスーパースター~」の詞はどうかなと思った。
ヴィジュアルもここでエスカレート、「マレーネ・デートリッヒ」風な衣装に女性顔負けの化粧で歌うスタイルは、プロデューサーである加瀬さんがデザイナー早川タケジ氏と仕組んだもので、ナベプロの社長から
「ジュリーは化粧しなくてもきれいだから、やめさせるように」
と苦言されたが、加瀬さんはそのまま続けさせたという。
(夜ヒットで、キツイ化粧のカウボーイスタイルで歌詞を忘れたシーンを記憶されている方も多いであろう)



私も堯之バンドや大野さん贔屓だったが、この曲から沢田さんをTVで見なくなってしまった。イマイチな曲を見てくれでカバーしているようにしか思えなかった。
大野さんの作曲で続けてもらいたい反面、加瀬さんのメジャー系の曲と交互にシングルを出してもいいのではと思ったものだ。あまりにも阿久+大野コンビに固執しすぎてたように感じていた。

続いて9月発売した
「ロンリー・ウルフ」

作曲は大野さんだったが、作詞に喜多條忠氏、編曲に後藤次利氏と変わっていた。
渋めの大野さん独特の世界で、後藤氏のイントロをはじめ幻想的なアレンジは、また違う沢田さんのスタイルを目指したように思えた。
しかし、女性ファンにウケるような曲調でないような気がした。
セールスは惨敗。ソロになった初めて10万枚にも届かなかった。
(海外同時発売シングルは除く)

加瀬さんはシングル曲を選考する会議で、自分の作曲した「TOKIO」をプッシュしたのだが、沢田さんをはじめオーソドックスな「ロンリー・ウルフ」を押したといういきさつがある。
「ロンリー・ウルフ」の惨敗で、加瀬プロデューサーの影響力がより大きくなっていく反面、80年のはじめには堯之バンドが解散してしまう結果となる。
私にとって「ロンリー・ウルフ」は、70年代後半の沢田さんの一つの時代が終わった括りの曲でもある。



(前半は大野さんのデモテープVer、後半は沢田さんVer)

 

 

 

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