さくらももこさんが旅立たれました。
90年代前半のりぼんにおける岡田あーみんとさくらももこのギャグ漫画枠…子ども心によく覚えてます。ふたりが合作した付録漫画もありました。パピィがまるこをおんぶしてたなぁ。懐かし。
さて、今回のタイトルは、さくらももこさんのエッセイのタイトルからお借りしました。
読んだのはもう(早くも)20年ほど昔のことになるのに、いまだに本に書かれてた内容をポツポツと思い出す事があります。今回のことがなくても、ほんとにポツポツ思い出していました。たし、エピソードのひとつにこんなことが書いてあったような気がします(うろ覚え)。
”子どもは一時的に自分のもとへ宿ったにすぎず、いつか大人になったら巣立っていくもの。自分のもとにきたからには責任を持ってる育てるが、子どもとは自分とは別の存在である。”
引用ではなく記憶からの引き出しなので、ものすごーーーーーーく曖昧な意訳ではありますが、だいたいそういうようなことを(←O型)述べられてまして、よくよく考えてみると、これ、先日のブログ 見つめすぎて考えすぎる での、わたしの考え方と繋がるところがあるような。
わたしの中に、さくらももこさんの本より影響を受けた部分があるのかもしれません。時間が経っているのでかなり浸透して彼女の思考とわたしの思考が混同してますし、細部どころか大筋もかーなーりーうろ覚えですが。。。
とはいえ、果てしなく忘れっぽいわたしがいまだにエピソードのカケラを思い出せるのは偉業と言える技。さすがというかなんというか、一般読者を惹きつける魅力があったのでしょう。
さくらももこワールドならではの親しみやすさや気軽さは俯瞰で見渡す視点を土台に構築されていて、彼女の観察眼と正直な表現のタッグの絶妙さがスパイスとなり易々と心をつかまれてしまうんです。漫画もエッセイも、このハードルの低さは、さすが。
日曜の終わりといえば、笑点からのまるちゃんとサザエさん
わたしが先日のブログでなつみを「別の誰か」と表現したこと、そして、またあとで書こうと思っていますが現在のなつみがおそろしく大人びた子に見えること、、、、そう思うのは、このエッセイあたりのさくらももこさんの発言がわたしの記憶に根付いていたからかもしれないな、と思うのです。
読んだ当時、もう20年も前になりますが、そのときは、単純に読み物としておもしろかったな程度だったのですが。
よく聞く言葉ではありますが、"読んだ本は血肉となる"、というのはもしや、こういうことなのでしょうか。
妊娠や出産に関するエピソードが語られるエッセイのタイトルは「そういうふうにできている」です。1995年初版。
そういうふうにできている (新潮文庫) 594円 Amazon |
れもんうむもん、よりこちらのほうがおすすめ。れもんさんのもおもしろかったけど。
ヒジキや炊き込みご飯など和食中心の健康な食事をしてても妊娠前は快便だったのがガンコな便秘に変わって苦しんだり、仕事に向き合うのがつらくなってしまい、最後にはマネージャーである夫から好きな絵だけ描いていいと言われて嬉しかったことなど、妊娠中や出産、最初の育児について書かれてて、当時の私は単純に読み物としておもしろいな興味深いな、と、ごくごく浅い感想しか持ち合わせてなかったはずが、予想以上に記憶の引き出しからカケラが出てきます。
「そういうふうにできている」というタイトルから漂う寛容、自分と子どもを同一視することなく距離感をわきまえたクールな視点、出産や育児を客観視して捉えた表現がつまったエッセイ。
「そういうふうにできている」を、(いちおう)妊娠も出産も経験した現在のわたしが読み返したら、かつてより共感できる内容も多いはず。
いまなら、あれこれ感慨深くうなずくこともできるし、彼女が体感した感情を受け止めて理解できる深さも持っているはず。
なんとなく読んだ本について、これだけの(20年!)年月が経ってから語る機会があるなんて、おもいませんでした。
人生っていつ何が起きるかわからないですね。
神のみぞ知る時限爆弾がいっぱいあります。
うさぎちゃん
「お年をとるとむかし話が長いの、やーね」
トニー
「女子トーク長いのも、やーね」
うさぎちゃん
「トニー、あんたケンカ売ってるの」
トニー
「くまくんはどこに?」
くまくん
「でっかくなっちゃった」
うさぎちゃん
「はい?」
トニー
「なつみに見せる新ネタだね!」