今日はダメな日だった。

 

朝から気持ち悪い。

 

食欲もない。

 

食べたら吐きそう。

 

仕事にも身が入らない。

 

ヤバいかもしれない。

私、もう限界なんじゃ・・・

 

 

と思いながら帰宅後

誰もいなかった時間に

久しぶりに大声で泣いた。

悲鳴に近い泣き声で。

 

キツイ!ツライ!なんで!なんで!?

ずっと一緒だって言ったくせに!!

なんで勝手に死んでるの!?

私にどうしろっていうの!?

 

・・・骨箱を抱えながら泣いた。

泣く前に立てたお線香が燃え尽きていた。

 

声を出して泣いたからか少し正気になった。

 

心も身体もフラフラになりながら

 

「もう、シンゴは、いないんだ。」

 

という現実を理解し、ボー・・・っとしていた。

 

そして夕ご飯の後。

 

娘に

「最近お母さん何もしてない」

と言われた。

 

娘の言い分はこうだった。

 

「お母さん、お父さん死んじゃってから

全然夕ご飯作ってない。

お母さんが作ったご飯食べてない。

 

お父さんがいないのに慣れるまでは

仕方がないけど

そろそろ、ばあちゃんを手伝うとか

やった方がいいと思う。」

 

これは事実だった。

夕飯は毎日義母にまかせていた。

 

子供たちが2階で3人で食べるのは

寂しいだろうと思い

ずっと義母に甘えていた。

 

私「そっか・・・。みんなで食べた方が

いいんだと思ってた。」

 

娘「うーん。お母さんが無理ならいいけどさ。」

 

私「2階で3人で食べてもいいの?」

 

娘「ちょっと寂しいけど、いいんじゃない?」

 

そんな会話を聞いていた息子が

 

息子「お母さん、無理しなくてもいいよ。

お母さんが作ったご飯美味しいからね。」

 

と言ってきた。

 

なんかびっくりだった。

 

子供たちの方がしっかり現実を見てる。

 

さっきまで骨箱抱えて泣いていた

私って一体なんなんだろう。

 

それだけ悲しむ余裕があるということ?

 

私は確かに何もしてない。

 

仕事はしているけど、

ずっと共働き家庭で育ってる子供たちにとって

仕事してても夕飯を作るのは当たり前の感覚。

 

ましてやシンゴも料理をする人だったから

「仕事してるから」は言い訳にもならない。

 

そんな姿、子供に見せちゃいけない。

私は何をしてるんだ・・・。

 

シンゴ、私とシンゴの子供たちはすげぇや。

さすがシンゴの子だよ。

9年間、一緒に子育て出来てよかったよ。

 

欲をいえば

もっともっともっと

一緒に子育てしたかったね。

 

でももう何をしても戻って来ない。

 

シンゴはもういない。

 

明日は月命日。

 

1カ月、経ったのか・・・・。

 

 

朝は限界を感じていたのに

子供の言葉で我に返り

シンゴがいない現実を少し受け止めた

死別30日目。

 

 

汗死別した人と共感したい汗

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