「学歴」自分は、一つの努力がどこまでできるか、その証ではないかと思う。

 

もちろん、個々の能力の差はあるかもしれなが、諦めればそれまでで、努力をすれば必ず報われるものである。

 

もうすぐ、統一地方選挙が行われる。

国会議員を選ぶ選挙は、東大や京大、中にはハーバード、ケンブリッジ、UCLAなど、名だたる大学出身の候補者が多い。

 

都議会議員や県会議員なども比較的、MARCH以上の大学が多く、ポツポツ日東駒専クラスが混ざって来る。

 

ところがである、これが市区町村議会議員選挙になると、様相が一転する。

MARCHや日東駒専クラスが中心になり、中にはFラン大学出身者もいたりする。

 

別にFラン大出身者が悪いわけではないが、広い視野、自分を律した行動などができるか、有権者にとっては数少ない候補者の人となりを知る情報なので、少し疑問を持つと云うよりは、気になってしまう。

 

正直、自分の住んでいる地域からどんな国会議員が選ばれたかは知っているが、どんな都議会議員が選ばれたかやどんな市区町村議会議員が選ばれたかなんかは、全く分からないし、恐らく会った事もない。

 

そんな状況で議員を選ぶのだから、職歴、学歴、ネットや選挙公報での主義主張、そしてビジュアルこのぐらいしか判断する材料がないので、学歴情報も気になってしまうのである。

 

市区町村議会議員選挙で「ハーバード院 修了」と書かれていれば、逆に不安になるし、Fラン大学も少し不安を覚える。

何に不安を覚えるかと言えば、努力ができる人なのかではないかと思う。

 

Fラン大学出身なら、逆に職歴を前に出し、学歴の詳細を書かない方が、まだ良いのではと思う。

職歴なら、〇〇商社で本社、アメリカ支社勤務20年も、〇〇商店で事務員として20年勤務も、そんな大きな差は自分は感じない。

 

逆を言えば、1つの仕事を長く続けていれば注目するし、社会人歴が10年で3か所も、4か所も転職していれば、ここも疑問を感じる。

 

投票する時の指標、ある意味、採用面接に近いような判断材料で判断している気がするのである。

Fラン大学出身なら、大学名を全面に出すとあまりプラスには働かないのではないかと思う。

 

結局は、出身大学の名前、一生ついて回るので、選択は慎重にしなければいけない気がするのである。

 

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