私的選手名鑑:佐伯貴弘【横浜】

私は阪神ファンです。ですが、横浜ベイスターズの佐伯貴弘選手のファンでもあります。そこで佐伯選手をここに紹介します。なるべく用語に説明をつけますが、もっと詳しい説明は後日追加します。
佐伯貴弘(さえきたかひろ)
通称:ハマの男前(ベイスターズの選手は愛称の頭に「ハマの」と付くことが多い)
1970年4月18日生まれ(今年35歳)
大阪市東成区出身
尽誠学園高校→大阪商業大学→横浜ベイスターズ(92年ドラフト2位)
※高校ではあの伊良部投手の後輩で、ルームメイトだったそうです。
左打ち左投げ
内野手ですが、外野守備もこなします。
彼の野球人生は語り継がれるべき伝説の宝庫です。
大商大時代
通算12本塁打(ホームラン)で当時関西六大学リーグの本塁打記録
三冠王(本塁打王、首位打者、打点王)2度
横浜入団
92年ドラフト2位で横浜入団。だが彼は本当は阪神に入団したかったと周囲に漏らしていたそうです。ですが、入団を希望する球団はと聞かれて「どこでもいい」と、本心を明かすことはありませんでした。
その入団会見のあと、事件は起こります。記者会見に姿を見せたお母様がおもむろに「うちの息子は女の子を見ると股間をふくらませてしまう若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします」と発言してしまいます。佐伯の心中はいかに……。ですが、小学校2年生のとき父親を亡くして以来女手ひとつで佐伯を育て上げたお母様を誰よりも大切にしている男・佐伯でありました。(「女の子のため…」ですが、どうしても紹介しておきたかったエピソードだったもので。すみません。)
97年オフ、契約更改で佐伯は球団の提示した金額を保留します。これはよくあることですが、そのときの佐伯の発言が「標準語を話す人とは話がでけん。大阪弁を話す人を用意しろ」というもの。早速球団は大阪出身の交渉人を連れてきて「これでどないや」「サインします」の運びとなりました。後に「球団もプロでした」と懐古。
2001年、彼の愛車からタイヤ4本が盗まれるという事件が発生しました。タイヤのなくなった車を見た佐伯は「(バック・トゥ・ザ・フューチャーの)デロリアンかと思った」と、その傍で記念写真を撮影したとか。
2004年11月11日、日米野球に出場。日本チームで唯一、しかもK.ロッド(奪三振王のロドリゲス)からホームランを打ってしまうという快挙を達成します。しかし、それまでこの大会で無安打が続いており、直前には外野守備時、打球を後逸していていかにも微妙なタイミングだったせいか、「やってもた……」という顔で走っていたのが印象的でした。インタビューはほとんど逃げ腰で「もうええやん」と言いたげでした。
2004年オフ、FA(フリーエイジェント)権を取得していた佐伯は残留の条件として横浜スタジアム入場料の値下げを提示。しかし球団側は「お前の野球人生だから好きなようにしてくれていい」と、積極的に引き止めなかったと、涙ながらに佐伯は訴えました。結局、牛島新監督の引き止めがあってFA権を行使することなく、無事残留が決まりました。(私は阪神入団のチャンス!と思って密かに期待していたのですが)
なんだかネタ的な話ばかりになってしまいましたが、この選手紹介を読んで佐伯に興味を持たれた方がいらっしゃったら、今シーズンは是非「横浜ベイスターズ」を応援してあげてください。