宮城県気仙沼市を定期的に訪れるようになってから1年。
どんどん新しい建物が建って、毎回行くたびに景色が変わっていく。
元にもどるというより、新しく街を作っているような感じだけれど。
でもきっと心は時間をかけたってなかなか立て直せない。
今でも気仙沼の方と話をすると何気ない話の中でも必ずと言っていいほど震災の話が出てくる。
それだけ大切なものを、生活の中心にあったものを失くしたということだと思う。
大切な人を目の前で失くしたり、自分の街がすべて流されてしまったり、苦しんでいる人が近くにいる中で自分たちだけ無事だったことに罪悪感を感じたり。
それぞれ立場は違っても、震災の記憶をそのままに、2011年3月11日からの直線上を生きているように感じた。
どんなに話を聞いたって、震災のことを調べたって、同じ経験をしていない私たちはその辛さを完全に理解することはできない。でも、毎年3月11日に思い出すだけでなく、震災のことを思い出す「点」を増やして「線」に近づけることで近い目線に立てるんじゃないだろうか。震災の記憶を過去の一点にしてはならないと思った。
これはきっと震災だけじゃなく、ほかのことにおいても言えることだ。
同じ時代に生きるものとして、他人事にせずちゃんと知ったり、考えたりしていく必要があると思う。
ちゃんとそれをできる人でありたい。
2018.3.11
いつも自分のことで精一杯になってしまっているから、自分に言い聞かせるというのもあって今日これを書きました。