寺山砦/埼玉県秩父市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

寺山砦は、お寺の裏山にあった砦です。
訪問日は2020年12月31日です。

寺山砦【位置】

砦跡へは、道の駅龍勢会館を目指します。
県道37号走ってれば、嫌でも目に付きますけどw
そこから北へ曲がり、カーブミラーの所で左折。
お墓の所で道が未舗装になり、そこから約200メートル進みます。
・・・と、よそ様のようにテキスト道案内してみましたw
詳しくは下の地図をご覧下さい^^

寺山砦【1】
①ここから山へ

お墓の所から、道の右側はずっと山肌です。
しかし、登城口のある所でぽっかり空きます。
ここからこの中へ突撃しました。
写真見ても「え?ここから?」としか思えませんが・・・
知らない場所でどこでもそんな奇行をしてる訳ではありませんよクローバー

寺山砦【2】
①左側に石段

私は突っ込んでしまいましたが、左脇に石段があります。
先輩達はここから登ったものと思われます。

寺山砦【3】
①谷が続きます

私はその石段に気付かないまま、真っすぐ谷底をばく進。
事前にチェックした「谷の左側」はただの斜面やん!と思っていました。

寺山砦【4】
②谷の行き止まり

辛うじて谷底を歩いたものの、ついに行き止まりとなります。
目の前には高さ5メートル程の土の壁が立ち塞がります。
城キチには、そんなに高くない壁です(`・ω・´)p

寺山砦【5】
③平坦地

獣の呼吸で上がった所は、とても広い場所でした。
かなり綺麗に削平されており、砦にしては整備されている感じです。
そんな平坦面が、2メートル程の段差を隔てて2面ありました。
物見と兵舎がセットになった、本格的な砦のようです。
上の軌跡でやたら間隔の広いのは、行きと帰りで反対側を歩いたからです。

寺山砦【6】
④横から見た尾根

上の段の平坦面の奥には、土塁のような土の壁があります。
これは左右の山につながる尾根です。
地形をうまく利用し、土塁にしたっぽい感じがします。

寺山砦【7】
④下から見上げた尾根

寺山砦は、この尾根を右に登った所にあります。
上の方が明るくて、城キチが今際の際に見る天国の階段っぽいです。

寺山砦【8】
⑤1つめの堀切

そんな天国への階段の途中に、高さ3メートル程の段差があります。
そう簡単には天国へ行かせへんで!と、ここで審判を受けそうな感じです。

寺山砦【9】
⑤1つめの堀切

ただ、足元には城キチの大好物の堀切があります。
これで油断させて、審判に異議を唱えさせない作戦のようです。

寺山砦【10】
⑥2つめの堀切

1つめの堀切を登ると、目の前に2つめの堀切が現れます。
木の生え方が全然違うので、上の写真のリサイクルではありません。

寺山砦【11】
⑦主郭

2つめの堀切を上がると、三角点のある小さな平坦面があります。
ここが主郭のようです。
砦というだけあって、かなり小じんまりしています。

寺山砦【12】
⑧1つ下の曲輪

南側には1メートル程の段差があり、もう1段曲輪があります。

寺山砦【13】
⑨2つ下の曲輪

2段目の曲輪から先端を覗き込んだら、まだ下に曲輪がありそうです。
しかし、陽が暮れそうな時間で、笹が密生してるので進まず。
南から攻め込まれるのに備えつつ、裏に大きなスペースがある砦でした。


◆歴史◆

不明!

砦としての記録はありません。
なので、周辺の出来事から推測するしかありません。

まずは、砦のすぐ南麓にある天徳寺ですが、1532年に開基されました。
曹洞宗のお寺ですが、ちょっと気になるのは金龍寺の末寺だという事です。
金龍寺は、金山城の横瀬氏(由良氏)の菩提寺です。
少し離れていますが、何かしらの交流があったのかもしれません。
横瀬氏と秩父が関わるとすれば、永正の乱(1510-12)でしょうか。
横瀬泰繁は山内上杉家の家督争いで、上杉憲房に味方し勝利しました。
その時に、秩父との交流が生まれたのかもしれません。

天徳寺が開基された1532年も、大きな動きがあった時期です。
今度は上杉憲房の実子と養子が家督を争った関東享禄の乱です。
1531年に決着がつき、実子の上杉憲政が勝利しました。
この時に横瀬泰繁がどちらに味方したか?ですが・・・
養子は古河公方の子だったので、上杉憲政に味方したかもしれません。
関与しなかったかもしれませんが・・・

すぐ近くに「吉田の盾」と呼ばれた龍ヶ谷城があります。
吉田の盾は久長但馬守の城で、1569年の武田軍との戦で活躍しました。
いち早く武田軍を発見した阿佐見氏が戦功第一とされました。
吉田の盾と連動し、武田軍を迎え撃つ砦だったかもしれません。

ただ、北に上がった城峯山には、武田軍の狼煙台がありました。
そちらを調べた時、吉田の盾だけでなく天神山城も武田軍の城でした。
一時的だったかもしれませんが、武田軍は秩父を占領したようです。
もしかしたら、狼煙台と連動して動く兵の詰め所だったかもしれません。
武田軍は秩父に侵攻した際「信玄焼き」として寺社を焼き払いました。
これは民衆に武田軍の恐ろしさを植え付けるためでしたが・・・
焼き払う寺社には、もっと立派にして建て直すと約束しています。
お寺を隠れ蓑にして、武田軍が伏兵を隠す基地だったのかもしれません。

・・・とまぁ色々あった地方なので、想像ばかりが膨らみます。


所在地:埼玉県秩父市吉田久長 GPSログダウンロードページ

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