要害山城/埼玉県小鹿野町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

要害山城はその名の通り、とっても要害な山城です。
広い意味では「埼玉りゅうがい」シリーズです。
訪問日は2020年12月31日です。

要害山城【1】

登城ルートはいくつかあるようですが、私は電力施設側から訪ねました。
本当は戸蓋峠を北から登って稜線沿いに攻略するつもりでしたが・・・
北側から戸蓋峠への道が見つからず、第二候補からの登城となりました。
複数のルートを調べておいて良かったです^^

要害山城【2】
①突き当り

このルートは、施設の外側を時計回りに進みます。
その突き当りがココです。
送電鉄塔保守用路の入口のせいか、とても広々とした突き当りです。

要害山城【位置】

ここまでアスファルトで舗装されており、バイクでも来れそうです。
ただ、この日はちょっと寒かったので、表に置いてきて歩きました。

要害山城【3】
①左手前から山へ

山には、手前左側の階段から入ることが出来ます。

要害山城【4】
①送電鉄塔の案内

送電鉄塔保守用のルートなので、これを目印に進みます。
番号が2つ書かれていますが、ここでは102号を目指します。

要害山城【5】
②これが道です

普段から人が歩く道ではないので、とっても踏み跡が薄いです。
遠くに見える送電鉄塔の案内杭?を追っかける感じで進みます。

要害山城【6】
③試練の道

ただ、途中で道がこの中に突撃しています。
ここで「うわ、詰んだ?」と考え込みましたが・・・
「もう上見えるし、そのまま登ろう!」と、獣のように直登を始めました。
幸い5メートル程で再び道が現れたので、人に戻ることが出来ましたw

要害山城【7】
④送電鉄塔

平らな所で稜線に直行しそうな誘惑に打ち勝ち、送電鉄塔に着きました。
すぐそこに見えますが、道はサラサラとても崩れやすいです。
最後の最後まで一見さんお断りな道でした。

要害山城【8】
⑤稜線を西へ

ここからは稜線上を進みます。
山キチさん達が歩くのか、道がはっきりしています。
急斜面から解放され、一気に気が楽になります♪

要害山城【9】
⑥やたら広い場所

城跡方向へ進むと、かなり広い平坦地に出ます。
ここ、きっと何かありましたよね?という位に平らです。

要害山城【10】
⑥窯の跡

広~い平坦地の端っこに、積まれた石がありました。
ぽっかり口が開いており、窯の跡のようです。
ここで何をしていたのか、超気になります。

要害山城【11】
⑦傾斜がキツくなります

窯の先は、また普通に傾斜のキツイ尾根になります。
でも、普通じゃない斜面を登って来たので、かなり歩きやすく感じます。

要害山城【12】
⑧岩の壁

傾斜はどんどんキツクなって来て、ついに岩の壁が現れます。
でも、何となくてっぺんぽい感じがして、これを越えれば!と登ります。

要害山城【13】
⑧上がったら少し窪んでいました

もはや道など無い岩の壁を登り切ると、少し窪んでいました。
というか小さな段差ですね、これは。

要害山城【14】
⑧そこでまたしても岩の壁

だって、また同じ感じの岩の壁が現れましたからw
ココもどうやって登ろうかと悩みますが、あと少しならいいやと直登。
下りる時の事など全く考えずに猪突〇〇です。

要害山城【15】
⑧下の段

岩の壁を登り切ったら、今度は平らな所に出ました。
薄い踏み跡、崩落した斜面、ロッククライミング・・・
長く感じた40分でした。
ここが南側の曲輪です。

要害山城【16】
⑧上の段へ

細長い平坦地を奥へ進むと、1.5メートル程の段差があります。

要害山城【17】
⑧石宮と戸蓋山のプレート

段差を上がると、小さな石宮と山頂のプレートがありました。
ここが主郭です(*´▽`*)
細長い狭いスペースですが、きちんと平らに馴らされています。

要害山城【18】
⑧北側の段

北側の尾根にも、ちょっとした曲輪があります。

要害山城【19】
⑧蟻の戸渡り

北側からチラッと見えた、西側の尾根です。
「蟻の戸渡り」と呼ばれる超細尾根です。
特徴的な地形だから固有名詞あるんだ!と思いましたが・・・
こういう地形を一般にそう呼ぶんだと初めて知りました。
蟻んこが1列に並んで歩くのと似てるのが由来だそうです。


◆歴史◆

後北条氏の物見だったと伝わります。

『新編武蔵風土記稿』では、砦や城の存在に全く触れられていません。
地元住民の間でさえ、何も伝わらなかったという事だと思います。
これは、存在自体が秘密だったのかもしれません。

付近であった戦として、1569年6月の三山谷の戦が挙げられます。
・・・と、鷹谷砦と同じ事書いてます。
ここも史料に登場しないお城なので、どうしてもそうなりますあせる

「三山谷」でググっても具体的な場所は出てきませんが・・・
鷹谷砦や要害山城は、東西に長い稜線上に連なっています。
その北側の低い所に、信濃国佐久郡につながる街道がありました。
見ようによっては谷間に見える地形です。

この戦で具体的な記述があるのが、日尾城での戦いです。
この城は、北条氏邦の重臣・諏訪部定勝が守っていました。
しかし前の晩に深酒をし、二日酔いで戦えない状態でした。
そのため奥方が兵を指揮し、武田軍を撃退したと伝わります。

9月になると、武田軍は別ルートから進軍して小田原城を包囲します。
有名な三増峠の戦いがあったのは、この武田軍が撤退する時でした。


所在地:埼玉県秩父郡小鹿野町三山 GPSログダウンロードページ

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