吉田山城/埼玉県飯能市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

吉田山城は、秩父御嶽神社の先にある吉田山山頂付近にあります。
訪問日は2020年12月29日です。

吉田山城【位置】

吉田山城は近年発見された城跡だそうです。
ちょっと前の先輩のおっしゃる「近年」がいつなのか?ですが・・・
ググっても出て来ませんでしたあせる
少なくとも、某大聖典に載ってないので平成になってからでしょうね。

吉田山城【1】

吉田山城へは、麓の東郷公園から登ります。
ここには広い駐車場もあり、安心して車を停められます。
東郷公園ということで東郷平八郎の銅像がありますが・・・
縁もゆかりも無い秩父になぜ?というのが素朴な疑問です。
答えは、地元の熱狂的ファンが生前に拝み倒して建てたからです。
本人は何度も断ったそうですが、余りの熱意に押し切られたんだそうです。

吉田山城【2】

東郷公園の上には、秩父御嶽神社があります。
まぁ、中腹には沢山神社がありますが・・・
これも、上記の熱狂的ファンの方の創建だそうです。
山の神社ということで、麓から山上まで苦手なアイツが一直線ですあせる
帰りは上から見ただけで足がすくんだので、車道を通っています。
神社周辺の軌跡が大きくズレているのはそのためです。

吉田山城【3】

息を切らしながら石段を登り切った所に、秩父御嶽神社の本殿があります。
銅像からの比高76メートル、所要時間は長く感じたものの11分でした。

吉田山城【4】

やっと辿り着いた本殿ですが、ここがスタート地点です。
本殿正面からは行き止まりに見えますが、右脇に奥へ続く道があります。

吉田山城【5】

神社裏からは尾根を登る→ピーク→尾根を登る、な感じになります。

吉田山城【6】

登り切った!と思って見ると、吉田山はまだまだ先です。
そんなこんなを3回程繰り返します。

吉田山城【8】

再び登り切ったピークでは、吉田山が起点になっています。
ということで、ここが吉田山の山頂です^^
近くに「吉田山」と書かれたプレートがありました。

吉田山城【7】

城跡へは、山頂から何も案内の無い北へと向かいます。
この辺の表現は先輩によりマチマチで、子ノ権現を目指すと書かれた方も。
別の大御所様は「北東へ」でしたが、方位間違いに何度かヤラレた事が。
トラウマから子ノ権現へ進みましたが、別の山に登りそうな勢いでした。
・・・ということで、大御所様の言う通り北へ進むのが正解です。

吉田山城【9】

山頂からは、こんな感じで尾根を下ります。
割と遠くまで見通せるものの、それっぽさが感じられないと思いました。

吉田山城【10】

しかし、しばらく進むと城キチレーダーがビンビン反応。
何となくうっすらな感じではありますが、何かを感じ取れました。
よーっく見ると、左右がちょっとだけ掘られた感じになっています。
かなり浅いですが、堀切に土橋が通っています。

吉田山城【11】

城域に入った♪と喜び勇むと、更に大きな堀切が現れますラブラブ

吉田山城【12】

大きめな堀切の先が二郭ということになっています。
この感じは、ココに来るまで何度も見てきました。
もっと広い所もあった位ですが・・・

吉田山城【13】

二郭を奥へ進むと、急に岩ゴツゴツになります。
ちょっと高くなったココが主郭とされます。
岩が多過ぎて、建物は建てられそうにありません。

吉田山城【14】

主郭から左下を見ると、そこにはかなりまとまった平坦地が見えます。
これだけまとまっていれば「あぁ、お城あったんだな」と思えます。

吉田山城【15】

上の主郭が狭いせいか、上からはかなり広く見えました。
でも、下りて見るとそんなに広くはありません。
あれ?場所間違えた?という程広い場所でもなし。
削平も甘く、ここに住むとか立て籠もるには向いてない感じがしました。


◆歴史◆

不明ですあせる

関係がありそうなのが、丹党の岡部氏です。
リュウガイ城が歴史不明で調べた時に、岡部氏が登場しました。
岡部泰忠が天文年中、後北条家に「我野」の居城を攻められています。
「我野」は現在の「吾野」ではないかと思いました。

そのお城はココではなく、もうちょっと東南東にありました。
岡部屋敷でググると出て来ます。
この居館は龍崖山の中腹にあり、山頂が龍崖山城だったとか。
埼玉りゅうがいシリーズ、また見つけちゃいました恋の矢

また、秩父御嶽神社を調べると、そこでも岡部氏が登場します。
秩父御嶽神社の前身・秩父彦神社は、岡部氏が創建と再建をしています。
これらから、吉田山を含む地域は岡部氏の勢力圏だった可能性大です。
ただ上に書いた通り、天文(1532-54)の間に後北条家に攻められました。
この時、岡部泰忠は討死し、幼子だった岡部忠秀は日影郷に移されます。
岡部氏はその後も日影郷(リュウガイ城付近)を拠点としています。
そのため、吉田山城は岡部氏が去った後に築かれたと思います。

構造が簡素なので、現国道299号の街道を見張る物見かもしれません。
ただ、それにしては奥まっていて眺望が効かないという指摘もあります。
そうなると、戦時に地元住民が隠れる場所だった可能性もあります。


所在地:埼玉県飯能市吾野 GPSログダウンロードページ

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