鐘掛城/埼玉県皆野町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

鐘掛城は、戦国時代に武田軍の物見があった山城です。
訪問日は2020年11月7日です。

鐘掛城【1】
①石間峠

冬季は路面凍結で行けなくなる石間峠。
城峯山とは反対方向に鐘掛城の案内があります。

鐘掛城【2】
①石間峠

城峯山から続く尾根伝いに遊歩道が整備されています。
こちら側の道は、軽なら通れそうな幅があります。

鐘掛城【4】
②平坦地

思っていた通りで、道には轍がありました。
峠からすぐですが、道の左側にかなり整った平坦地があります。

鐘掛城【5】
③分岐

真正面には超苦手が階段が見えて来ました。
石間峠から鐘掛城の間に、ピークが1つあります。
このピークを避ける道が右側に分岐しています。
今まで「近道」と呼んできましたが、「まき道」って言うんですね!

鐘掛城【6】
③まき道

その近道は、斜面にそって続いています。
写真で見ると、斜面の傾きハンパないw

鐘掛城【7】
④再び分岐

元の道と合流し進むと、再び目の前に階段が現れます。
例によって右脇にまき道が分岐していますが・・・
階段方向が鐘掛城、まき道方向は西門平と書かれています。
楽な方行ってもそこから登ることに変わりなし。
ということで、渋々147段の階段を上りました。

鐘掛城【9】
⑤鐘掛城

階段を上がると、目の前に分岐の案内があります。
奥に説明板があり、ここが鐘掛城です。

鐘掛城【10】
⑤説明板

説明板は、ネットのどの記事よりも詳しいですw
書かれている方も「遺構が無い」に発奮して探しに来た方々でした。
私もその1人なのですが・・・w

鐘掛城【11】
⑤城跡の標示

ボーズは嫌なので、とりあえずの成果として撮影です。
2つ上とこの写真が、鐘掛城のほぼ全景となります。

鐘掛城【12】
⑥東側の斜面

まずは誰も見に行ってないと思われる東側の出っ張りへ。
何も無いというなら、誰も見て無さそうな所が一番怪しいです。

鐘掛城【13】
⑥東側の斜面

そう思って道無き斜面を下ったのですが・・・
本当に何もありません。
ただただ尾根が下っていくだけの風景です。

鐘掛城【14】
⑦奈良尾峠方向の道

西門平側には何も無いと書かれていたので、反対側の奈良尾峠側へ。
こちら側の道は落ち葉が積もり、人が歩いた気配がありません。
こっちなら何かあるかもしれないと期待しましたが・・・

鐘掛城【16】
⑦奈良尾峠方向の道

こちらもただただ道が下るばかりです。
大した高低差はないですが、登り直す時の足取りといったら重い重いあせる

鐘掛城【17】
⑧西門平方向の道

そして、先人達が何も無いと連呼する西門平側です。
こちら側には石間峠方向への近道があるので、そのまま帰る算段です。
尾根を下ると、西門平への道が左側へと逸れて行きます。
そして真正面には踏み跡の無い尾根が!

鐘掛城【18】
⑧南側の尾根

ということで、人の道を外れますw
まぁ、この程度ならとっても歩きやすいですが。
先端部はこんもりしてますが、その先はそのまま落ちて行きます。
こちら側にもやっぱり何もありませんでした。

鐘掛城【位置】

恒例の撮影マップです。
毎回呼び方が違うのは、気になさらないで下さいあせる
何かありそうな所でも、何も無かったことがおわかり頂けると思います。


◆歴史◆

戦国時代に武田軍の物見がありました。

戦国時代に武田軍の物見があったと説明板に書かれています。
1569年、今川家の領地を巡る争いから甲相同盟が決裂。
武田軍は駿河の今川領だけでなく、北条領の秩父にも侵出しました。
この時に鐘掛城が築かれ、城峯山にも物見が置かれました。
監視対象は、猛将・北条氏照の拠点である鉢形城ですね!
武田軍は他に吉田の盾や天神山城、虎ヶ岡城、金鑽御嶽城を拠点としました。
標高の高い城峯山と鐘掛城は、狼煙台に使われたと思われます。
武田家が滅ぼされた1582年、役割を終えたと考えられています。


所在地:埼玉県秩父郡皆野町上日野沢 GPSログダウンロードページ

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