石間城/埼玉県秩父市 | なぽのブログ
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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

石間城は、平将門の隠れ岩伝説が残る山城です。
訪問日は2020年11月7日です。

石間城【1】
①石間峠

例年なら、年末は帰省して九州で城巡りをするのですが・・・
今なおコロナ禍で揺れる今年は、県内で未訪の城跡をリストアップ。
かなり見て回ったつもりですが、ザクザク出て来ますあせる
ここもその中の1ヶ所ですが、ちょっと早めに訪ねました。

石間城【2】
①石間峠

なぜかというと、ストビューで石間峠を見れば一目瞭然。
路面がバリバリに凍結して通行止めになっています。
その写真が12月なので「早よせな!」という訳です。
当日は直近に比べて最低気温もかなり高めな予想。
気が付かなければ、年末に現地で泣きを見る所でした。
石間城は、峠から尾根伝いに西のどこかにありました。

石間城【3】
②堀切と虎口?

峠からすぐですが、尾根道がザクっと1段低くなっている所があります。
その向こう側がキュッと高くなっており、堀切と虎口のように見えます。
実は、石間城の位置はあまりよくわかっていません。
第一候補は城峯神社ですが、Google Mapではその西にマークがあります。
それ以外の候補が、城峯山山頂から北東に下ったこの辺り。
山登りの嫌いな私が石間峠から歩き始めたのは、そういう理由からです。
(Google Mapでは「峰」ですが、現地での表記は殆どが「峯」です)

石間城【4】
③広大な平坦地

虎口っぽい所からすぐに、尾根道の左側に広大な平坦地が見えます。
トウシローの目にも、人工的に平らに馴らしたように見えます。

石間城【5】
③広大な平坦地

せっかくなので、GPSでトレースすべく平らな部分を1周しました。
この平坦地の一番奥から見た光景です。
もしかしたらレベルでなく、確実に人の手で平らにされています!

石間城【6】

超怪しい平坦地から先は、山頂に向けて私の苦手な階段が続いています。
右下にも腰曲輪っぽい平坦地が連なっていますが・・・
気になる所を挙げたらキリが無いので、先へ進みます^^

石間城【7】
④城峯山山頂

階段の先には、現代的な物見櫓が聳えています。

石間城【8】
④城峯山山頂

先ほど程ではありませんが、そこそこ平らに馴らされています。
次に訪ねた鐘掛城の説明板には、武田軍が狼煙台にしたと書かれていました。
この辺りでは頭1つ抜けた高さなので、そうなんだな~という印象です。

石間城【9】
④城峯山山頂西側

山頂から城峯神社へ向け、西へ西へと進みます。
山頂から下りてすぐの所で、道が岩に挟まれた所があります。
もしかして、ここも虎口?と思いましたが・・・

石間城【10】
④城峯山山頂西側

すぐ先が土橋状の地形になっていました。
振り返って両方セットで撮るとこんな感じです。
ここも、おそらく城キチの直感通りなんだと思います。

石間城【11】
⑤城峯神社中宮

さらに下った所に狭い平坦地があり、小さなお堂が建っています。
ここは城峯神社の真上にある中宮で、日本武尊が祀られています。
右脇の石碑には、藤原秀郷が建てたものだと彫られています。

石間城【12】
⑥城峯神社

中宮の真下にあるのが、城峯神社です。
ここはかなり広い平坦地で、その一番奥に石垣付きの社殿があります。
雰囲気はもうお城そのものです!
少数意見かもしれませんけどあせる

石間城【13】
⑥城峯山キャンプ場

石間城の有力候補地ということで、平坦地を隅から隅までなぞりました。
そしたら、もう、超広い!
東端が駐車場なのですが、社殿から直線距離で200メートルあります。
しかも、北に城峯山を抱える殿谷戸形式!
平安時代の城館の特徴を見事に備えています。

石間城【14】
⑦将門の隠れ岩

超広い神社境内を堪能した後、地図で城跡とされる西へ向かいます。
次のターゲットは「将門の隠れ岩」ですが、道端に警告が現れました。
そこには平成生まれの流行語「自己責任」が大きく書かれています。
その下には、私が姫木城で書いたのと同じような文言が・・・w

石間城【15】
⑦将門の隠れ岩

その先には、垂直の岩盤に垂れ下がる1本の鎖。
なぁんだ、ちゃんと鎖あるじゃん(*´ω`*)と思い登ったのですが・・・

石間城【16】
⑦将門の隠れ岩

鎖は一番下の1本だけで、その上にはありませんでした。
登りかけた断崖、なんとなく登れそうだったので登っちゃいました。
ネットで漁っても、隠れ岩見つかんなーいというのが多いです。
ただ、その後見つけたブログでは、1本目登って右に鎖があるらすぃw
その先に、体育座りなら隠れられそうな岩窟が載っています。
後から知ってちょっとガッカリです。
私も体育座りしたかった・・・

上まで行くと、私の努力をあざ笑うかのようにフェンスがあせるあせるあせる
こういうのは世間的に「努力」ではなく「愚行」って言うんでしょうね・・・
実は、こんな断崖登らなくてもちゃんと歩いて来れる道があります。
もちろん、帰りはそっちから安全に歩いて戻りました。

石間城【18】
⑦将門の隠れ岩?

断崖を成していた大きな岩のてっぺんに、小さな石宮があります。
山キチ様達も含めて「天狗岩」と紹介されている岩です。
案内が何も無いので、真偽の程は不明です。

石間城【19】
⑦将門の隠れ岩の西側

隠れ岩から先は、こんな感じの痩せ尾根となります。
左右どちらも断崖の、ドキドキ冷や汗道です。
ただ、足元はしっかりしていますし、掴まれる木も沢山あります。

石間城【20】
⑦将門の隠れ岩の西側にある堀切

その先に、窪んだ地形がありました。

石間城【21】
⑦将門の隠れ岩の西側にある堀切

痩せ尾根の1本道に掘られた堀切です。
人工的だと感じる堀切は、神社の西側ではこの1本だけでした。
それっぽい所なら、あと2か所はあったかもしれませんが。

石間城【22】
⑧城峯神社奥宮

その先は、全般的に細いものの歩きやすい広さになってきます。

石間城【23】
⑧城峯神社奥宮

ここにも小さな石祠があり、城峯神社奥宮猿田彦大神の石碑があります。
Googleさんの地図ではもう1つ西のピークに描かれている奥宮です。
確かに歩いた印象では、隠れ岩から一旦下って登ったように感じました。
でも、GPSの示す場所は、地理院の地図で同じピークの中でした。
んんん、色々と世間の常識が覆ってしまいそうあせる

先ほどの岩のテッペンには、小さな祠がありました。
ただ、そこには何も文字は書かれていません。
岩とお社がセットである!という事が、混乱を招くのかもしれません。

石間城【24】
⑧城峯神社奥宮の西側

奥宮の先も痩せ尾根道です。
割とすぐに岩ゴツゴツになり、まっすぐ進めなさそうな感じになります。
ただ、右脇から下りられそうだったので下りてみました。
そして振り返ると・・・

石間城【25】
⑨これが天狗岩?

上からはただの岩場に見えましたが、下からはデーンと聳えています。
奥宮のすぐ近くなので、これが天狗岩だと思います。

石間城【26】
⑨天狗岩の先

天狗岩の先は、それまでの痩せ尾根から一変してゆったりしています。
この雰囲気は、古処山城に似ています。
ただ、ゆったりしてはいますが、平坦ではありません。
ここに建物建てるとしたら、掘立柱の上で板を水平に張る感じでしょうか。

石間城【27】
⑨天狗岩の先にあるピーク

目の前に高い所があるので、ついつい登ります。
古処山城南西尾根にも、似た雰囲気のピークがありました。
その時は、一番高い所に石仏が一体あっただけでガッカリでしたが・・・

石間城【28】
⑩城峯神社から2つ目のピーク

細長いなだらかな地形は、何かあった、かも?と期待を抱かせました。
スマホでGoogleの地図見ても、まさにここに奥宮がある感じでした。
しかし、細長い地形があるだけで人工物ゼロ。
先端部からは、もうどこにも行けない感じで斜面が下るだけでした。
道らしい道も無いので、ここでUターンです。

石間城【29】
⑪もしかして堀切1?

北を頂点とする三角形の緩やかな所から、天狗岩?脇を登ります。
その先は痩せ尾根ですが、行きには気づかなかった所がありました。
自然地形っぽいですが、城キチですから反応せずにはいられません。
足元部分が削られた感じなので、可能性ありますよね?

石間城【30】
⑫もしかして堀切2?

そんな所がもう1ヶ所。
行きは断崖を登った所の帰り道は、安全な道を通りました。
そこにもこんな場所があります。
通り道は岩の脇なので、通行を妨害する効果はゼロですが・・・
この形、城キチのハートを掻きむしりますラブラブ

石間城【位置】改

最近恒例となった、撮影場所マップです。
断崖を登った将門の隠れ岩が⑦、城峯神社奥宮が⑧です。
ヒヨッコ城キチの予想ですが・・・
⑥の城峯神社が石間城、③の平坦地は武田軍によるものと思います。
武田軍が城峯山に物見を置いたと、鐘掛城の説明板に書かれていました。
おそらく狼煙台と、石間峠を抑えるのが目的だったと思われます。
東に鐘掛城があったので、③に何らかの施設があると丁度良さげです。


◆歴史◆

平将平の城と考えられています。

平将平は平将門の弟で、領地から大葦原四郎と呼ばれていました。
豊田郡大葦原が何処だったんだろうとググりましたが???ですあせる
大葦原五郎将為、大葦原六郎将武は弟なので、やっぱり常陸でしょうか。
秩父には、平将平に関する言い伝えが数多く残っているそうです。
南東の麓にある円福寺は平将平の開基とされ、境内にはお墓もあります。

兄が関東で新皇になろうとした時、伊和員経とともに諫めました。
平将門は諫言を聞き入れず、国主のリストから平将平を除外しています。
関東で独立的な動きをする平将門を、朝廷は討伐対象としました。
940年2月、平将門が下総で藤原秀郷との戦いに敗れました。
一般的に平将門は、この戦で討死したとされます。
平将平が城峯山に籠ったため、藤原秀郷は麓に鶴ヶ窪城を築きました。
激しい山岳戦の末、平将平もついに討ち取られます。
平将平が討たれた後も、厳しい落ち武者狩りが続きました。
乱を鎮圧した藤原秀郷は、春日四柱を勧請して城峯神社を創建しました。

平将門関連の伝承がいくつか伝わります。

城峯神社の境内に、平将門の伝承が書かれた説明板が数枚あります。
若干内容は異なりますが、大雑把にまとめると
・下総で藤原秀郷に敗れた平将門が、石間ケ岳に落ち延び城を築いた。
・その時から里人が「城峯山」と呼ぶようになった。
・藤原秀郷が城を攻め落とし、平将門は隠れ岩の隙間に隠れていた。
・影武者7人も含め、平将門は捕らわれの身となった。
・しかし、誰が本物かわからず藤原秀郷が困り果てていた。
・平将門の愛妾・桔梗の前が、食事の時にコメカミが激しく動くと白状。
・討たれる直前「桔梗あれど花咲くな」と叫び、平将門は絶命。
といった感じです。
この伝説から、城峯山では桔梗の花が咲かないと伝わります。

武田軍が城峯山に物見を置きました。

1569年頃から、武田軍が秩父地方に侵攻しました。
甲相同盟が破綻し、小田原城を攻めたのと同じ頃ですね♪
この時に城峯山に物見を置き、尾根続きの東側にも鐘掛城を築きました。
武田軍は金鑽御嶽城や虎ヶ岡城、天神山城、龍ヶ谷城も拠点としました。
・・・龍ヶ谷城は吉田の盾です。
同名の城が、秩父地方には沢山あります。
とまぁ、わかったのはココまでです。

城キチには不人気なので、ググっても殆ど何も出て来ません。
城峯山に武田軍が居たのも、鐘掛城の説明板に書かれていました。
鐘掛城は、石間峠から東へ15分程歩いた所にありました。
石間城のついでで訪ねたものの、遺構は山頂の僅かな平坦地のみ。
これじゃぁ城キチ様達には見向きもされない訳です。
3方向に延びる尾根のいずれにも、それっぽい物は何も有りませんでした。
その名の通り、本当に鐘を掛けただけの場所だったようです。

城峯山から近いのに、なぜ別に城を置く必要があったのか。
ヒヨッ子城キチの推測では鐘掛城が物見で、城峯山が狼煙台だと思いました。
鐘掛城は、城峯山から東へ下る尾根上にあります。
武田軍が見張りたいのは、その先にある鉢形城だったと思われます。
城峯山から東には、30メートルしか低くない鐘掛城があります。
なので、城峯山から鉢形城は見えなかったハズです。
しかし、鐘掛城から東にはせいぜい500メートル級の山しかありません。
鉢形城周辺の動向を見張るなら、鐘掛城の方がうってつけです♪

じゃぁ、狼煙台も鐘掛城に置けばいいじゃん!ってなりますが・・・
鐘掛城で狼煙を上げても、城峯山が邪魔で甲斐側の西方向から見えません。
正確には、狼煙が高く上がって見えるまでタイムラグが発生します。
それじゃあ自慢の狼煙台ネットワークが活きない!
ということで、鐘掛城から鐘で合図して、城峯山で狼煙を上げた?
これなら両方に武田軍が居たとしても、無駄にはなりません。
そして、両方の見張り番が詰めたのが、石間峠付近の平地だと思います。
それにしては、かなりの広さでしたが。
石間峠を押さえるため、兵を多く置いた可能性もゼロではありません。


所在地:埼玉県秩父市吉田石間 GPSログダウンロードページ

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