烏帽子岳城/大分市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

烏帽子岳城は佐賀関ダムの近くにある山城です。
訪問日は2019年12月29日です。

烏帽子岳城【1】

ここはどういう訳か、色々と整備されています。
南側の道端に、車がたくさん停められる駐車場があります。

烏帽子岳城【2】

この駐車場脇から、城跡まで歩きやすい遊歩道があります。

烏帽子岳城【3】

その途中に、大きな堀切があります。
今では脇を登る道がありますが、往時は上を歩いていたのでしょうか。
道があっても無くても「ここから登らせたくない」という意思を感じます。

烏帽子岳城【4】

私は勝手に道は一直線だと思っていました。
比高60メートルを一気に登れると、どこかに書いてあったような・・・
そう思って油断していると、一気には登れず「あれ?」となります。

烏帽子岳城【5】

登城路には堀切が2つあるというのが事前情報でした。
2つ目はまだかな?と思いながら登っていました。
そんな私の目に、ちょっとした変化が映りました。
もしかしてココ?と、ちょっと掻き分けてみました。
堀切や横堀のような窪みはありませんが、ちょっとした平坦面はあります。
ここに兵を置いて守らせたのかもしれません。

烏帽子岳城【6】

そんなこんなで、私なりには色々あったつもりの10分間でしたw
主郭には高射砲の台座が残っています。

烏帽子岳城【7】

手作り感満載な山頂プレートです。
椅子の上に乗っている板の裏は見ていません。
今更ですが、ちょっと気になってきましたあせる

烏帽子岳城【8】

主郭は、高射砲の台座がある所が一段高くなっています。

烏帽子岳城【9】

某大聖典の図では、登ってきた方から見て右側に虎口が描かれています。
そうとは知らずにいると見落とすレベルですが、見つけましたラブラブ
真ん中に写っていますが、見えますか?

烏帽子岳城【10】

下からの方がよく見えますが、両脇に石が積まれています。
周りと地形が殆ど変わらないので、虎口には見えづらいです。

烏帽子岳城【11】

虎口のすぐ下には、土塁が端に付いた横堀っぽいのが見えます。
帯曲輪にしては狭いし、犬走?なのかもしれません。

烏帽子岳城【12】

そちらへ下りて右へ進むと、かなりハッキリした竪堀があります恋の矢恋の矢恋の矢

烏帽子岳城【13】

竪堀には、ココ一の石垣があります。
ほんの2メートル程ですが、摺木城で見たのと同じ積み方です。
これがずっと続いていたとしたら、登り石垣になります。

烏帽子岳城【14】

虎口から戻り、主郭を奥へと進みます。
そんなに奥でもない四阿ですが、凄い遠回りして来た感が溢れてます。

烏帽子岳城【15】

主郭はちょっと段差がありましたが、そこから北はずっとこんな感じです。
細長い平坦面がずっと続き、両脇は木で覆われています。

烏帽子岳城【16】

先端部は道が脇へZ字形に下りています。
まっすぐでない所が、何となく虎口っぽさを感じさせます。


◆歴史◆

1569年、佐伯惟教により築かれました。

佐伯惟教は1556年、小原鑑元が起こした姓氏対立事件に巻き込まれました。
姓氏対立事件は、大友一門とそうでない家臣との争いです。
大友一門は「同紋衆」、そうでない派は「他紋衆」と呼ばれていました。
小原鑑元は他紋衆を糾合し、大友義鎮に対し謀反を起こしました。
他紋衆筆頭だった佐伯惟教は、この謀反には加わっていませんでしたが・・・
蜂起した他紋衆が鎮圧されると、佐伯惟教も討伐対象となりました。
佐伯惟教は抵抗らしい抵抗はせず、一族をまとめて伊予へ逃れました。

それから10年以上経ち、大友義鎮は毛利元就と北九州で激しく争います。
その中で、水軍の強化が必須となり呼び戻されたとされます。
佐伯惟教が帰参した時に築いたのが烏帽子岳城です。
いきなり本拠には戻してもらえなかったようで、ここで1年過ごしています。
翌年には栂牟礼城が返還され、佐伯へ戻っています。
また、同時期に大友家の重臣中の重臣である加判衆となっています。


所在地:大分市白木 GPSログダウンロードページ

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