摺木城/大分市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

摺木城は佐賀関を拠点とした若林水軍の城でした。
訪問日は2019年12月29日です。

摺木城【1】

摺木城への入口は、国道からちょこんと入って戻る道の真ん中にあります。
道端にあるコンクリートの施設にペイントされています。

摺木城【2】

入口からは白セメントのミカン農道を登ります。
ミカン農道なので、幅は狭く傾斜は急で、カーブもきつい所があります。
4WDの軽トラ乗りが自分たちの作業用に造る道ですからね・・・
ちょっと大きめのクルマは、入口の所に停めておいた方がいいです。

摺木城【3】

城跡への入口は、コンクリート擁壁にペイントされています。

摺木城【4】

公園として整備されている、という一言で油断していましたが・・・
登城路は、私がよく行く山城そのものですw

摺木城【5】

でも、登城路を登り切ると、パッと視界が開けます。
いきなりですが、主郭です。

摺木城【6】

右へ進むと、石垣で出来た虎口があります。
本当はココから入る道があったんですね・・・
今はどうなってるんでしょう?

摺木城【7】

草が綺麗に刈られ、藪掻きしないで済むのはとても助かります。
でも、手作りの説明板群はひっくり返ったり落ちたりです。
ここは手を付けていない感じです。

摺木城【8】

左奥は一段低くなっていて、さらに奥へと続きます。
こちらが2郭のようです。

摺木城【9】

主郭と2郭は、1メートル程の段差があります。
この段差に石垣があります。
かなり特徴的です。

摺木城【10】

2郭も周囲はこんな感じの石垣で囲まれています。
平らな石の布積みです。
こういう積み方も地域性が出て、あちこち見てると楽しくなります♪


◆歴史◆

若林氏の城でした。

若林氏は下野国の武士でしたが、大友氏に従って九州に来たそうです。
その初見は建武年間(1333-36)で、若林源三が大友氏泰の使者を務めました。
若林源三をググると、予想通りの展開となりますあせる

佐賀関に領地を与えられたのが、若林源六です。
大友政親により1496年頃、一尺屋周辺を与えられています。
若林源六が魚を贈り、大友政親が喜んだとされる手紙が残っています。

本格的に水軍として活躍したのが、戦国時代の若林鎮興でした。
若林鎮興は1569年、大友義鎮の命令で、大内輝弘を周防へ送りました。
周防は既に毛利領でしたが、毛利軍が総出で九州北部へ侵攻した時期でした。
大内輝弘は大内旧臣を集めて蜂起し、毛利軍の背後を脅かしました。
そのため、毛利軍は九州から撤退せざるを得なくなります。
大友軍は、毛利軍に奪われた九州北部を難なく奪還することが出来ました。
肝心の大内輝弘は、脱出に失敗して自害していますあせる
若林鎮興は、その後も大友軍の外征で水軍を率い活躍しています。

若林鎮興の子・若林統昌は朝鮮出兵で、大友義統とともに渡海しました。
しかし、大友義統の敵前逃亡により改易され、領地を失っています。
摺木城はこの時に廃城になったものと思われます。
若林統昌はその後も従い、大友義統預かり地となった周防にも同行しました。
大友家を離れた後は松平定勝に仕え、老後を過ごした長崎で没しています。


所在地:大分市大字一尺屋 GPSログダウンロードページ

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