金田城/長崎県対馬市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

金田城は、対馬にある古代城跡です。
読みは「かねだじょう」「かねたのき」「かなたのき」などです。
訪問日は昨日(2019年9月15日)です。

金田城【スタンプ】スタンプ設置場所
美津島地区公民館 地図
開館時間:8時45分~17時半
休館日:12月29日~1月3日
観光情報館ふれあい処つしま 地図
開館時間:8時45分~17時半
休館日:12月29日~1月3日

金田城【1】

まずはスタンプゲット(σ・∀・)σ
空港から金田城へは、国道から県道24号へ右折します。
そのすぐ手前に美津島地区公民館があります。
道の手前側に別の建物があり、直接この建物は見えません。
目印は右に見えるガソリンスタンドで、その反対側に入ります。
スタンプはカウンターの方に声を掛けると出してくれます。

金田城【2】

登城口までは車で行けますが・・・
ナビに金田城が出てこず、周りにも目印になる物は何も無し。
スタンプ集めでは珍しく、ナビ無しで登城口を目指しました。
ただ、元々有名な所だったので、県道24号に案内が出ています。
道の右側に注意していれば、迷わずここまで辿り着けます。
問題は有名になってしまった事で・・・
登城口が車で溢れかえっていました。
私はバックでちょっと戻り、路肩の広い所に停めて城跡へ向かいました。

金田城【3】

登城路はこんな感じで整備されています。
実はこの道、旧日本軍が城山に砲台を築くために通したものです。
旧日本軍が設置した砲台と関連施設は、今でも遺構が残っています。

金田城【5】

旧日本軍の道を登ると、途中で大きな石塁が現れます。
この石塁は城山から真っすぐ海に向かって伸びています。
急に現れたのでビックリしましたラブラブ

金田城【4】

ここから三ノ城戸へ向かう道が分岐します。
私は手っ取り早く見て回りたかったので、こっちへ進みました。
ただ、ここでどっちへ進むかは、どう見たいかによります。
私の失敗談も踏まえてですが・・・
①一ノ城戸までならここで脇道へ
②全部見て回るなら旧日本軍の道へ
なぜかと言うと、城山からこっちに戻る道の案内が無いからです。
私は城山の先端まで行き、降りる道が無くて戻り時間をロスしました。
時計回りに回れば、そんな事を気にせず突き進めます。

金田城【6】

三ノ城戸方向の脇道へ入ると、すぐに掘立建物跡が現れます。
見張り小屋だったかもしれないと、説明文には書かれています。

金田城【7】

石塁に沿って坂を下って左カーブを曲がると、この案内があります。
「約60m」って、わかってらっしゃるw
それならちょっと寄り道しよう!という気にさせてくれます。

金田城【8】

先ほど歩いて来た道の下に回り込んで来ます。
下から見るとこうだったのか・・・

金田城【9】

先ほど見た斜面を下る石塁は、下から見るとこうです。
彦根城などにある登り石垣が朝鮮式の影響だと言われますが・・・
あちらでは、斜面に石を積む石垣が使われ続けていたんですね。

金田城【10】

石塁の所からは山道になり、どんどん下って行きます。
そんなに下ると、また登り直すのが・・・という心の声はガン無視ですあせる
そうやって下って行く内に、下に大きな石垣が見えて来ます。

金田城【11】

ここが三ノ城戸です。
大きな石垣で、谷間の一番低い所を塞ぐようになっています。
見ようによっては水門のようにも見えますが・・・
下から上がって来れそうな所を塞ぐ目的があったようにも見えます。

金田城【12】

二ノ城戸側から見た三ノ城戸です。
ここだけ石垣が集中しているのがわかります。

金田城【13】

三ノ城戸からは、再び上り道となります。
上りの坂道を登り切った所に四阿がありました。
・・・と思っていたら、掘立建物跡でした。

金田城【14】

目の前にはもう1つ、説明文の書かれたオブジェが。
その先に目を遣ると、両脇に土塁を従えた門の跡がありました。
ここがビングシ門跡です。

金田城【15】

両脇の土塁はハッキリしていて、とても迫力があります。

金田城【16】

ビングシ門跡から再び道は下り坂。
その内に道は沢の中を通るようになります。
この沢のすぐ先に、石垣で出来た門が姿を現します。
ここが二ノ城戸です。

金田城【17】

ここは金田城の中でも一番綺麗に見栄えがする所です。
復元なのかもしれませんが・・・(復元でした)

金田城【18】

二ノ城戸から一ノ城戸へは、ニノ城戸の手前側で左へ進みます。
ほんのり緩い上り坂となっており、道沿いに石塁が見られます。

金田城【19】

そのまま進むと、例の説明板と案内が見えます。
案内には「海岸降口」と書かれていますが、ここが一ノ城戸です。

金田城【20】

海岸へ降りる道に入ると、眼前にこの石垣が姿を現します。
上からは見えない、立派な石垣ですラブラブ
古代城の石垣には珍しく、出っ張りがあります。
上と下で石や積み方が異なるので、修復されたと考えられています。

金田城【21】

絵になる遺構は一ノ城戸までです。
時間も掛かるので、大部分の方はここでUターンされます。
実際、私を追い抜いて先に着いた方は、ここで戻って行きました。
ここからは、山を巡る地味な遺構を追っかけながらの山道です。
一ノ城戸から先の道は、しばらくはご覧の通り荒れています。
丁度海岸から上がって来た二人組も「あっちは危ない」と話していました。
山城の中でこれだけ人と遭遇するのも珍しいのですが・・・
続日本100名城効果でしょうか。

金田城【22】

一ノ城戸から先の道が荒れているのは、おおよそ300メートル程です。
荒れている所は雨で流され、普通の山道に還りつつある感じです。
その先はそれまでと同じレベルの道に戻ります。
その道中、石塁が道端に沿ってある箇所が多いです。

金田城【23】

一ノ城戸からはずっと上り坂です。
そして、最初のピークが北東の角にあたる部分です。
ここからは海がとてもよく見えます。

金田城【24】

北側は城山山頂に向かって、ずっと上り坂が続きます。
道は断崖に沿って進みますが、その端に常に石塁が沿っています。

金田城【25】

・・・と思っていましたが、崖っぷちの足元の石の列です。
鬼ノ城と似てるなぁなんて思いながら、見られる所で見たらこうでした。
北側はずっとこんな感じです。
目立たないですが、とても壮大な遺構です。

金田城【26】

ピークに達しては登り、ピークに達しては登り・・・
北側ではそんな道が続きます。
一部では、とても綺麗に整備されています。
一ノ城戸付近もじきにこんな感じになるのかもしれません。

金田城【27】

北側の3回目ぐらいのピークから先は、道が平らになります。
とても歩きやすいのですが、ここから先には旧日本軍の砲台跡が続きます。
整然と積まれた石は、それまでのものとは明らかに時代感が違います。

金田城【29】

いくつか続く旧日本軍の施設のある所に、金田城の城址碑があります。
城址碑は、県道24号からの入口とここしかありません。

金田城【30】

登城口に戻る道は、この辺りから南側に下りています。
私はまだ先から下ると思っていたので、そのまま進んでしまいました。
せっかくなので紹介します。
北側の道は、石塁の内側を通ります。
この石塁をくり抜く感じで時々石で出来た建物が現れます。

金田城【31】

途中、このように広い平坦地が3回現れます。
古代城だった時にあったかは?ですが・・・
2つ目の平坦地では、赤レンガが散乱していました。

金田城【32】

いつになったら下りる道が現れるんだと、延々と西へ向かいました。
3つ目の平坦地は行き止まりで、斜め上に上がるしか選択肢が無し。
この先に下る道があると信じて更に進みましたが・・・
施設の先端にこの横堀があり、この先で行き止まり。
図を改めて見直し、石塁を表す線は歩けないんだと悟りました。
超遅すぎですけどあせるあせるあせる
下の地図で西から南西に伸びる線が、軍事施設の続く稜線です。
登城口へ下りる道は、城址碑付近の綺麗な道です。

金田城【33】

下る道は大きく蛇行し、途中2回、このように石塁を横切ります。
山の斜面でも手を抜かず、一直線に伸びる石塁。
大和朝廷の権力は、とてつもなく強大だったんですね。

金田城【34】

旧日本軍の道が三ノ城戸へ分岐する直前に、南門の案内があります。
「約30m」では、スルーという選択肢はありません(`・ω・´)

金田城【35】

ただここは工事中のようで、門の真ん中のいい所がコンクリートに。
最終的にどうなるのかは???ですが・・・


◆歴史◆

『日本書記』の667年の条に登場します。

663年、倭国は朝鮮半島の百済復興のため、唐・新羅連合軍と戦いました。
しかし、白村江の戦で大敗し、逆に攻められるリスクが高まりました。
そのため天智天皇は、対馬・壱岐・筑紫に防人と烽を設置。
翌年には大宰府防御のため、大野城と水城の築造に着手しました。
金田城が築かれたのはその後で、高安城、屋嶋城とともに築かれました。
防人はその後も配置され、8世紀初頭に廃城になったと考えられています。

江戸時代末頃に修築されました。

江戸時代末になると、日本近海での外国船の目撃情報が相次ぎました。
対馬海峡も例外ではなく、対馬藩は外国船に対する警戒が必要となりました。
そのため、要所要所に遠見番所を設置。
1798年に作成された『海辺御備覚』に、城山の備えが登場します。

1901年、明治政府が城山に砲台を設置しました。

当時はロシアとの関係が悪化し、一触即発の状況だったそうです。
そのため、最前線になりそうな対馬に、様々な防衛施設が造られました。
この時に城山にも砲台が設置されました。
日露戦争(1905年)では、対馬近海で海上戦が行われました。
無敵を誇ったロシアのバルチック艦隊を、日本の海軍が破っています。
この時に築かれた砲台や兵舎、弾薬庫などが、現在も城山に残っています。


所在地:長崎県対馬市美津島町黒瀬

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