赤松館/宮城県栗原市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

赤松館も狩野氏の城で、藪の中に遺構が残っています。
訪問日は2017年5月6日です。

赤松館【1】

赤松館へは、北の鉄塔からと南の神社から行けます。
私は往時の登城路を辿れればと、南の神社から登りました。
神社へは、川沿いの道を西へ進むと割とすぐにここに辿り着けます。

赤松館【2】

神社までは歩きやすい道があり、車を降りて2分で着きます。
ただ、ちゃんとした道はココまで。
境内を見渡しても、山の中に入っていく道が見当たりませんでした。

赤松館【3】

当時はちょっとした工事中で、青いネットの裏に道がありました。
道とは言っても、獣道以上、登山道未満な感じです。
ここはまだ道筋が見えますが・・・

赤松館【4】

10分程登ると、両脇から草木がちょっかいを出してきますクローバー
当日は時々雨粒が落ちてくる天気で、傘を差しながら歩きました。
・・・かなり歩きづらかったですあせる

赤松館【5】

そのうちに足元の踏み跡も見えなくなり・・・
とりあえず高い所へ~という方針で登りました。
すると、目の前に横一線の土の壁が!

赤松館【6】

そう思って土の壁を越えると、そこには舗装された道がありましたw

赤松館【7】

舗装された道を進むと、突き当りに鉄塔がありました。

赤松館【8】

さて、城跡は藪の中だし、どこから戻ろうか?と思いました。
道端にピンクの目印が付いているのを見つけました。
目印はあるものの、普通に歩けそうな道は無し。
そこだけ多少藪の密度が薄いような気はしますが・・・

赤松館【9】

入口の藪をくぐると、階段が見えました。
どうやら麓から鉄塔への道があるようです。

赤松館【10】

そのまま進むと、今度はちゃんとした土塁がありましたラブラブ

赤松館【11】

さらに、虎口のような堀のような土の造形も。

赤松館【12】

なんとなく高い所に上がると、台のような感じでした。
曲輪でしょうか?

赤松館【13】

さらに奥へ進むと、バッチリ大きな台地の裂け目がありました。
深さは3、4メートル程あり、誰が何と言おうと堀です恋の矢

赤松館【14】

一時はどうなるかと思いましたが、収穫アリでした(*´▽`*)

赤松館【15】

堀のそばに、こんな土のテンコ盛りがありました。
櫓台かもしれませんが、見晴らしは・・・
色々と凸凹は見れましたが、構造はよくわかりませんでしたあせる

赤松館【16】

で、ドコに居るのかわからなくなり、テキトーに下りました。
横から登った時の道に出てひと安心ですあせる


◆歴史◆

はじめ佐藤継信、のち狩野弥三郎の城と伝わります。

佐藤継信は奥州藤原氏の家臣で、源義経四天王の一人です。
確かにこの辺りは佐藤氏の支配地域だったかもしれませんが・・・
佐藤継信は、現在の福島市一帯を本拠とした佐藤基治の子です。
ここら辺りの佐藤氏は、淵牛館を本拠としていたと思われます。
系統は近いのですが、数代前に分かれた家系です。
親戚なので可能性が無いとは言いませんが、ちょっと考えにくいです。

狩野弥三郎については何もわからずあせる
狩野氏は奥州藤原氏滅亡後、この辺りを与えられた伊豆の御家人です。
室町時代はじめ頃に斯波家兼に従って下向し、真坂館を本拠としました。
大規模な堀や土塁があることから、戦国時代まで使われたと思われます。


所在地:宮城県栗原市一迫嶋躰字門前

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