淵牛館/宮城県栗原市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

淵牛館は、安部貞任が朝廷軍と戦った城跡です。
訪問日は2017年5月6日です。

淵牛館【1】

淵牛館跡の駐車場です。
こんなに人が来るのか?というぐらいにとても広いです。
きっと何か定期的に大きなイベントがあるに違いありません(`・ω・´)
無いかもしれませんが・・・

淵牛館【2】
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遊歩道の入口にある説明板です。
図だけパクろうと思いましたが、あまりにザックリで断念しましたあせる
でも、この図のおかげで見事な遺構を見ることが出来ました合格

淵牛館【3】

駐車場からは、きれいに整備された道が続きます。

淵牛館【4】

城跡なんだし、きっとそれっぽいものがあるはず!
そう期待しながら進むと、1か所だけ「堀切?」という所がありました。

淵牛館【5】

そうこうする内に、一番高い所に到着あせる
あれ?もしかしてこの先?と、道を下ってみました。
下った先は、ただの下り道でした。

淵牛館【6】

チッ、期待外れカヨなんて帰ろうとした時、もう1本の道がありました。
一気に下るもう1本の道は、元来た道から遠ざかる感じでした。
しかし、ここで入口で見た案内図を思い出しました。
案内図では、道が輪になって元の所の戻れる感じで描かれていました。
どうせなら!と、先程よりもより山道らしい方へ進んでみました。

淵牛館【7】

すると、下る道の左下に、横堀っぽいのが見えてきましたラブラブ

淵牛館【8】

もう少し進むと下りやすい所がありました。
堀底大好き人間な私は、しばし堀沿いに歩いて堪能しました恋の矢

淵牛館【9】

道沿いの堀が外側なら、と、道の反対側も攻めてみました。
構造はよくわかりませんでしたが、それっぽい土の造形はありました。

淵牛館【10】

もうどこだか忘れちゃいましたが、半円型の横堀もありました爆  笑


◆歴史◆

安部頼良により築かれたとされます。

安部頼良は平安時代の人物で、奥州を広く支配していました。
淵牛館はその子・安部貞任の居城で、当時は華山城と呼ばれていました。
(某大聖典では「花山館」として紹介されています)
安部貞任というと、どうしても村田雄浩さんの顔が思い浮かびますw
安部氏は朝廷に逆らう事が多く、そのため討伐されました。
1051年、朝廷は藤原登任を総大将として安部氏を攻めました。
安部軍は鬼切部の戦でココを拠点とし、藤原軍を撃退しています。

1062年、落城しました。

安部氏討伐に失敗した藤原登任は解任され、源頼義が奥州に下向しました。
安部頼良は源頼義を歓待し、名が同じ読みであるため安部頼時と改めました。
しかし、源頼義は色々と難癖をつけ、最終的には安部氏を討伐しました。
その中の局地戦として、ココでも戦がありました。
安部貞任はココに籠城し、源頼義軍と戦いました。
しかし、勝敗が決すると、安部貞任は裏手から逃れて衣川へ退きました。

佐藤氏の城となりました。

奥州安部氏滅亡後は、源頼義の家臣・佐藤公清の城となりました。
佐藤公清は藤原秀郷の子孫で、曾孫には西行法師がいます。
佐藤氏は奥州藤原氏に仕え、甥の子孫・佐藤基治が信夫郡で活躍しました。
奥州藤原氏が滅ぼされた後、佐藤信隆が葛西氏に仕えるようになりました。
佐藤信隆は淵牛の地を安堵され、以後も代々淵牛館を居城としました。
佐藤氏は葛西氏の後、大崎氏、伊達家重臣の遠藤氏に仕えています。
廃城時期は「伊達政宗の頃」とだけ紹介されています。
おそらく、1615年の一国一城令ではないかと思われます。


所在地:宮城県栗原市花山字本沢渕牛

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