梁川城/福島県伊達市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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梁川城も伊達氏が本拠とした城でした。
どちらかといえばこちらがメインでした。
訪問日は2016年8月4日です。

【1】梁川城

地図で「梁川城跡」と書かれている所の北側です。
ここには小学校がありましたが、建物が解体され無くなりました。
ストビューでここ見ると、まだ建物が写ってますw
で、この階段が大手門の跡なのだそうです。

【2】梁川城

・・・と、誰かが言ってました

【3】梁川城

内側はこのように更地になっています。
ブルーシートは発掘調査でもやったのでしょうか?
このまっさらな更地が、梁川城の本丸があった場所だそうです。
無造作に盛られた土がその後どうなったのか、私は知りませんあせる

【4】梁川城

ここは梁川高校の南西の川沿いの道です。
このまま進むと梁川高校に入りそうです。
夏休みで誰も居ないと思ったら、登校日だったようで賑やかでした。
ということで、チキンは私はここでストップです。

【5】梁川城

住宅街の隙間から見た梁川高校です。
高低差は10メートルくらいありそうです。
こんな感じで、私自身はあまり遺構を見られませんでした。
しかし、枡形跡や堀跡、復元庭園など沢山あるようで・・・
また行ってみたいです。
10連休は予定を入れてないので、フラッと行ってるかもしれませんw


◆歴史◆

伊達氏初期の本拠でした。

築城時期は不明で、諸説あります。
一番古いのは初代・伊達朝宗による1189年。
文献に登場するのは1426年以降なのだそうです。
発掘調査で出土した遺物は1200年代だそうで・・・
とにかく古くからあったお城だった、という事ですあせる

1532年、伊達稙宗が桑折西山城へ移りました。

確実な所では、伊達稙宗の居城だった事です。
伊達稙宗は周辺勢力との縁組を積極的に行い、勢力を拡大しました。
奥州・羽州管領の大崎氏と最上氏、相馬氏や蘆名氏など。
こうして書き出すと、陸奥中央部をほぼ押さえていそうです。
伊達稙宗はこの頃に盛んに法令の整備を行いました。
梁川城はこの年に生まれた八男・伊達宗清の城となりました。
伊達宗清は天文の乱が始まったばかりの頃に梁川姓を名乗るようになります。

1591年、蒲生家の城となりました。

伊達政宗が葛西大崎一揆に関与した疑いで、一部の領地が没収されました。
この時に信夫郡や伊達郡などが蒲生氏郷の領地に加えられました。
梁川城は、蒲生頼郷が城代となりました。
蒲生姓を名乗っていますが、蒲生家臣あるあるで一族ではありません。
蒲生家では、デキる家臣に蒲生姓を名乗ることが許されました。
蒲生頼郷は、九州征伐で活躍した横山喜内です。

1598年、上杉家の城となりました。

蒲生氏郷没後のゴタゴタで、蒲生家は宇都宮へ移されました。
代わって蒲生領に入ったのが上杉景勝です。
梁川城は、須田長義が城代となりました。

1600年、伊達政宗に攻められました。

関ヶ原の戦で、上杉景勝が徳川家康に対して挙兵しました。
福島では伊達政宗が出陣し、各地で上杉軍と戦っています。
この時に梁川城が伊達軍に攻められました。
城攻めの際、城内にいた上杉家臣・横田大学の内通が発覚。
横田氏は会津出身で、伊達政宗に最後まで抵抗してたんですけどね・・・
城内からの内応が期待出来なくなり、伊達軍は撤退しました。
関ヶ原では徳川家康が勝ち、上杉景勝は領地を大幅に減らされました。
会津を没収され米沢に移されましたが、この辺りは残されました。

1664年、廃城になりました。

米沢藩3代目の藩主・上杉綱勝が26歳で急死しました。
上杉綱勝には子が無く、後継ぎも指名していませんでした。
そのため、本来であれば無嗣断絶となる所でしたが・・・
保科正之の仲介で、妹の子が上杉家の家督を継ぎました。
しかし、領地は半減され、伊達郡や信夫郡が天領となりました。
この時に梁川城は廃城となりました。
その後、梁川藩が立藩されたり、他藩の飛び地になったりしました。
その都度、城跡に陣屋が置かれたそうです。


所在地:福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡

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