駒ケ嶺城/福島県新地町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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駒ケ嶺城は、仙台藩の浜通り最南端の城です。
訪問日は2016年8月4日です。

【1】駒ケ嶺城

城跡の入口にある神社です。
この周りは道が細く、駐車場もありません。
私はバイクなので適当に停められましたが。
どこに停めようかすごく悩んだのをよく覚えています。

【2】駒ケ嶺城

神社から城跡へと続く堀底道です。
山城への道は、普通ならわかりづらくすると思います。
そのまま現代になり、私のような迷子の城キチが量産されています。
こうやって城跡まで続く道は、守備側の意図があっての事だと思います。
つまり、攻撃側がここを通ることで、守備側が有利になるのでしょう。
・・・と、コバエを頭にまとわりつかせながら、勝手に妄想してましたw
ここのコバエは、ハッカ油スプレーがあまり効きませんでしたあせる

【3】駒ケ嶺城

堀底道を歩いていると、高みに向かってひと筋の道がありました。
城内へはここを上がって行きます。

【4】駒ケ嶺城

上がってみると、広い曲輪に出ました。
その奥には、西館という曲輪の城塁が見えます。

【5】駒ケ嶺城

西館内部の様子です。
広い曲輪の端に、しっかり土塁が付けられているのが見えます。
真夏ですが下草は無く、コバエがうざい以外は問題なく歩けます。

【6】駒ケ嶺城

西館を奥へ進むと、土橋の向こうに虎口が見えます。
復元でないのにこれだけしっかり残っている虎口は、とても貴重です合格

【7】駒ケ嶺城

結構普通に雑木林の中を歩いて来ましたが・・・
主郭は小ぎれいに整備されています。

【8】駒ケ嶺城

ココには説明板と石碑があります。
石碑は文字が読み取れませんでしたが・・・
きっと城址碑に違いありません(+_+)v

【9】駒ケ嶺城
拡大表示

そして、ここには案内図もあります。
説明板にも書かれていましたが、別名は臥牛城といいます。
この別名、全国各地でよく見ます( *´艸`)

【10】駒ケ嶺城

主郭の奥側の虎口です。
実はこの先にも曲輪があり、左下には大きな横堀もあるのですが・・・
顔の周りを飛び回るコバエに耐え切れずギブアップ。
一目散に元来た道を駆け戻ったのでしたあせる
ここを訪ねるなら、コバエの居ない季節がお勧めです。


◆歴史◆

永禄年間(1558~69年の間)に相馬盛胤により築かれました。

伊達家中で起きた天文の乱で、相馬家は伊達稙宗に味方しました。
この乱は子の伊達晴宗が実質的に勝利し、相馬家と対立関係になりました。
伊達稙宗は隠居後は相馬領のすぐ北にあった丸森城に居ました。
1560年には相馬盛胤の子・義胤が伊達稙宗の末娘を正室に迎えています。
1565年、伊達稙宗が没し、その遺言が領土問題を起こしました。
問題の遺言は、伊具郡5村を相馬家に譲るという内容でした。
相馬・伊達両家の争いは続き、1570年、相馬軍が丸森城を奪いました。

1576年、駒ケ嶺城が伊達軍に攻められました。

4月に相馬軍が亘理元宗を攻めましたが乗ってこず退却。
すると、亘理元宗は伊達輝宗の援軍を得て相馬領に攻めて来ました。
5月に伊達軍が駒ケ嶺城を攻めましたが、相馬軍が撃退しています。
この戦は周辺勢力が何度か仲裁を試みたものの、秋まで続きました。
その後も伊達軍とは一進一退を繰り返しましたが・・・
1583年に和睦した際に丸森城を伊達家に返しています。

1589年、伊達軍に攻め落とされました。

2月に伊達政宗が落馬し、足を骨折しました。
この機を捉え、岩城常隆と相馬義胤が伊達領に侵攻しました。
伊達政宗は回復すると反撃に転じ、駒ケ嶺城が落城しました。
この戦の最中に伊達軍は会津に矛先を転じ、蘆名氏を滅ぼしました。
これを機に反伊達勢力がこぞって伊達政宗の傘下となりました。
しかし、相馬義胤は滅亡覚悟で伊達軍への抵抗を続けました。
丁度この頃に豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼし、伊達政宗も降しました。
このことで、相馬家は滅亡を免れました。
しかし、駒ケ嶺城は相馬家に返されず、伊達家の城となりました。

戊辰戦争で落城し、焼失しました。

徳川家康が一国一城令を発し、全国で多くの城が廃城となりました。
しかし、伊達政宗は多くの城を「要害」呼び名を変えるに留めました。
駒ケ嶺城もこの時に要害の1つとなりました。
宝暦年間(1751~64年の間)には「所」に格下げされましたが・・・
江戸時代を通じて、仙台藩の軍事拠点であり続けました。

1868年の戊辰戦争では、仙台藩は浜通りの本営を駒ケ嶺城に置きました。
相馬中村藩が新政府側に寝返ると、翌日には駒ケ嶺城に攻めて来ました。
激戦の末、およそ一週間後に陥落して焼失しました。
仙台藩は二度にわたって奪還を試みたものの失敗し、その歴史を終えました。


所在地:福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字舘

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