松山城/福島県須賀川市 | なぽのブログ

なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
松山城跡は現在、岩崎山史跡公園となっています。
訪問日は2016年8月1日です。

【1】松山城

後ろに写っている岩山が城跡です。
意識せず撮りましたが、山の下に供養塔群が写っています。

【2】松山城
拡大表示

案内図の左上に、弘安6年から明治まで霊地だったと書かれています。
弘安6年は、西暦に直すと1283年です。
これは、沢山ある供養塔で一番古いものが弘安6年の物だそうです。
何かあったのかな?と思いググりまくりましたがわからず。
年代的には二度の元寇から霜月騒動の間です。
この頃には既に、この地域は二階堂氏の領地でした。

【3】松山城

公園になっているので、城跡の山は真夏でも登れるよう整備されています。
とりあえず、案内図にあった平坦面をたどりながら登ってみました。

【4】松山城

四阿(あずまや)の所が石造七観音です。
中腹にある平坦地ですが、城跡らしさは感じられません。

【5】松山城

四阿からターンして登って行くと、それっぽい所に来ましたラブラブ

【6】松山城

この上が、案内図にあった「松山城址」です。
奥に小さな石の祠があり、その脇に城址標柱があります。

【7】松山城

案内図ではここが城跡ですが、実際はもっと奥が主要部です。
ここは松山城の一番南にあった曲輪です。
さらに奥だと当時持ち歩いていた資料にもありましたが・・・
私が当時訪ねたのはここまででした。
たぶんですが、真夏だったので草深かったのかもしれません。
2年半前の事なので、記憶があやふやですあせる

【8】松山城

帰りは手っ取り早くということで、上りとは別のルートから下りました。
途中あるこの平坦地は、案内図にある第二展望台です。
腰曲輪のような、後世削って造ったのか・・・


◆歴史◆

二階堂氏の一族・横田氏の城でした。

1444~48年の間に横田左京により築かれたと考えられています。
この時期に二階堂為氏が須賀川に下向し、須賀川城に入りました。
岩瀬郡を掌握した二階堂為氏が、領内の再配分をしたのかもしれません。

松山城でググって見つかるのは
①1537年、蘆名盛氏に攻められた
②1562年8月、田村隆顕に奪われた
③同年中に二階堂軍が包囲し、田村軍から奪い返した
④1566年2月、蘆名軍に攻められ落城した
⑤1589年、伊達政宗に攻められた際、横田治部少輔が籠城した
だけです。

この中で特筆すべきは④です。
松山城と横田館が蘆名軍に攻め落とされ、横田氏が生け捕りにされました。
これに対して二階堂盛義は、嫡男を人質に出して降伏しています。
一族とはいえ、何故そこまでしたのか気になっていました。
二階堂氏はこの後、伊達政宗に滅ぼされるまで蘆名家と行動を共にしました。

ググってみたら、面白いものを見つけました。
二階堂盛義の父・二階堂照行の弟が横田義信でした。
二階堂照行は1561年に没していました。
なので、横田義信は当時、二階堂一族の筆頭という事になります。
蘆名軍に捕らえられたのが横田義信、と書いたサイトはありません。
ただ、二階堂盛義の行動から、その可能性が大だと思いました。

1589年、伊達軍に抵抗し松山城に籠城したのは横田治部です。
横田治部が横田義信なのかどうかは?です。
本家の須賀川城が落城後、横田治部は伊達軍に降伏。
領地の3分の1が安堵されたそうです。
しかし、翌年の奥州仕置きで、この辺り一帯が蒲生氏郷の領地となりました。
おそらくこの時に廃城になったものと思われます。
横田治部のその後は不明です。


所在地:福島県須賀川市木之崎字岩崎山(岩崎山史跡公園)

福島県の城跡/なぽのホームページを表示

なぽさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ