小野城/福島県小野町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
小野城は体育館の裏山にありました。
訪問日は2016年8月1日です。

【1】小野城

B&G海洋センターの隣にあるこの建物が、小野町の町民体育館です。
かなりモダンな建物です。
駐車場も広々しているので、きっと来る時には来るのでしょう。

【2】小野城

私は訪ねたタイミングが良かった、ということでしょう。
貸し切りだったので、真ん中に停めています。

【3】小野城

この駐車場の一角に、こんな所があります。
ここだけ凹んでいるので、とても目立ちます。

【4】小野城

そこに「小野城→」の案内があります。
やっぱり、この広い駐車場は城キチokだったんですね!

【5】小野城

さて、矢印に従って登ってみたものの、そこから先はこんな感じです。

【6】小野城

案内は無く、何となく進めそうな所を進んで行きました。
消去法でここにたどり着きましたが、道はありません。

【7】小野城

何となく位置は知ってたので、ちょっと草を掻き分けました。
杉林に入ってしまえば、下草は真夏でも歩ける程度です。

【8】小野城

体育館裏の山は、幅20メートル程の細長い台地状になっています。
どっちだろう?なんて思いながら、台地上を奥へと進みました。

【9】小野城

すると、かなり大きな堀に行き当たりました。
道はありませんが、本能の赴くママで正解でした(/・ω・)/

【10】小野城

幅15メートル、深さは7、8メートル程の大きな堀です。
舌状台地を分断しているので、堀切ですね!

【11】小野城

ほぼ唯一の見どころなので、何度も何度も振り返って見ました。

【12】小野城

堀切の先に登ると、端に土塁が盛られていました。
まぎれもなくここが城の曲輪であった証拠ですね!

【13】小野城

そう思ってウロウロしていると、人工的なコンクリート柱がありました。

【14】小野城

本丸跡の城址碑でした。
ここのも個性抜群のデザインです合格

【17】小野城

城域はまだまだ南に続いていたので先端を目指しましたが・・・
途中に日当たりの良い曲輪があり、こんな感じになっていましたクローバー
草の背丈は私と同じ位あり、進撃は不可でした。
とりあえず、北半分だけのご紹介となりますあせる


◆歴史◆

小野氏の城でした。

小野氏は、平安時代初期にはこの辺りに領地としていたようです。
最初の領主は小野篁で、小野妹子の子孫で小野小町の祖父だそうです。
どんな人物だったのかググってみると・・・
・陸奥守となった父に従い、陸奥で弓馬に長じた
・遣唐使や朝廷を恨む漢詩を多数作った事により隠岐へ流罪
・漢詩や和歌、明法道(律令)、書は天下無双の腕前だった
・昼は朝廷、夜は閻魔大王の補佐をしていたと噂されていた
・・・面白そうな人ですが、長くなりそうなのでこの辺で切りますあせる

1504年、岩城常隆が攻め落としました。

この頃まで小野左右衛門の城だったようです。
小野左右衛門がどんな人物だったのかは???ですあせる
岩城常隆は田村義顕に娘を嫁がせ、小野城も譲りました。
田村義顕は次男の田村顕盛を小野左右衛門の嗣子としました。

1586年、田村家で内紛があり離反しました。

田村家当主の田村清顕が、男子の跡継ぎが無いまま没しました。
娘が伊達政宗に嫁いでおり、その子を養子にする約束だったそうです。
この時はまだ、娘に男子は生まれていませんでした。
田村家の派閥は月斎派と梅雪斎派、田村清顕の未亡人派の3つがありました。
月斎は田村義顕の弟で、「田村に月斎が無ければ」と恐れられた人物です。
梅月斎は田村義顕の次男で、小野城を継いでいました。
田村義顕の弟と子ということで、当時2人とも超高齢だったハズです。
田村清顕の未亡人は、東側に境を接する相馬家出身の娘です。

先手を打ったのは未亡人派で、相馬義胤の三春城入城を企みました。
三春城は田村氏の本拠なので、相馬氏の傘下になることを意味しました。
これに月斎派と梅雪斎派が猛反発し、軍を出して相馬義胤を撃退。
両派は伊達政宗と協議し、田村清顕の弟の子を後継と決めました。
そして伊達政宗を三春城に迎え入れることとなりましたが・・・
その前日、梅雪斎派が三春城を出奔しました。
梅雪斎派は小野城主の田村梅月斎(顕盛)と大越顕光です。
彼らは田村家には従わず、独立した動きをするようになります。

1589年、伊達政宗が陸奥の覇者となりました。

この年の正月、梅雪斎派が田村宗家を離れ、岩城常隆傘下となりました。
岩城常隆は小野城へ向かい、伊達政宗との戦が始まりました。
大越顕光は伊達軍に内応する約束がバレ、岩城常隆に処刑されました。
伊達政宗は梅雪斎の小野城には攻撃しないよう、家臣に命じています。
相馬軍は岩城軍とともに伊達領に向かいましたが・・・
その間に伊達政宗が蘆名家を滅ぼし、情勢が一変しました。
石川氏や白河結城氏らが佐竹家から伊達家に鞍替えしました。
勢力図が一変し不利を悟った岩城常隆は、伊達家の傘下となりました。

1590年、廃城になったと思われます。

豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかった勢力がまとめて改易されました。
伊達政宗は間に合ったものの、その傘下勢力は参陣を止められていました。
そのため、石川氏や白河結城氏、岩城氏、田村氏も改易されました。
小野城主の田村梅雪斎は岩城氏に従っていたため、城を失っています。


所在地:福島県田村郡小野町大字小野新町字小白井

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