猪苗代城/福島県猪苗代町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
猪苗代城は別名亀ヶ城とも呼ばれ、公園となっています。
訪問日は2016年8月2日です。

【1】猪苗代城

城跡の東側にある駐車場です。
もう石垣見えちゃってますラブラブ
ググって出た古い図を見ると、どうやらこの辺は二の丸のようです。

【4】猪苗代城

駐車場の端に、説明板や案内図がズラっと並んでいます合格

【図】猪苗代城
拡大表示

いつも通り、案内図をパクリます。
この案内図は公園全体のものなので、その中の城跡部分だけ頂きました。
左下に貼った文字は、オリジナルでは上の方にあるものです。
図は北が上です。
歩いたルートは右端の①→Dへ上がり、茶色い所を反時計回り。
そして③→②から真ん中の本丸です。

【2】猪苗代城

上の写真で石垣が窪んで見える所です。
脇に小さく「冠木門跡」と書かれた標柱がありました。
ただの行き止まりにしか見えず、門?と思いましたが・・・

【5】猪苗代城

奥まで進むと、右へ上がる石段がありました。
石垣造りのお城ですが、仕掛けが沢山ありそうですラブラブ

【6】猪苗代城

石段を上がった所が二の郭です。
下が二の丸で、一段上が二の郭です。
まぁ、固有名詞という事にしておいて下さいw
二の郭は本丸を囲む帯曲輪で、外周に低い土塁があります。

【7】猪苗代城

二の郭の北側にある分岐です。
帯曲輪ですが、横堀でもあります。
ここから左側の横堀を進みます。

【8】猪苗代城

分岐した所は、下からも左からも城塁と土塁に挟まれています。
なかなか手の込んだ「虎口」ですよね?
何虎口というのかわかりませんが・・・
進路を狭める感じの虎口が2つ並んだ感じです。

【9】猪苗代城

幅が狭い所を通ったので横堀っぽいと書きましたが・・・
西側は幅が広く、帯曲輪っぽさがあります。

【10】猪苗代城

しかし、さらに南へ進むと幅が狭くなり、横堀っぽくなります。
横堀と帯曲輪の違いって何?って混乱してきますあせる

【12】猪苗代城

二の郭を反時計回りに回り、南側に来た所で鋭角に曲がります。
そこから上がった所が四脚門跡(図の③)です。
虎口の脇をガッチリ石垣が固めています。

【13】猪苗代城

四脚門跡から入った所に、首が晒されています。
この首は・・・野口英世の銅像です。あせる
幼い頃に猪苗代城跡によく遊びに来ていたそうです♪

【14】猪苗代城

ここから見ると、北側が一段高くなっています。

【15】猪苗代城

コンクリート階段のある所が黒門跡です。
わずかに石垣が残っていますが、言われないとわからないLvです。

【16】猪苗代城

黒門跡の内側が本丸跡です。
がっつり整備され、芝生のきれいな公園となっています。
外周を囲む低い土塁が、わずかに城跡らしさを残しています。

【17】猪苗代城

本丸の東側の石段です。
南北から下り、真ん中で合流して冠木門跡に通じています。

【18】猪苗代城

Dに下る石段の両脇は、ガッチリと石垣で固められていますラブラブ
雰囲気的に、ここに門があってもおかしくない感じがします。


◆歴史◆

鎌倉時代初期に築かれたと考えられています。

鎌倉時代初め、相模から来た佐原義連が会津を与えられました。
佐原氏は三浦一族ですが、和田の乱や宝治合戦を生き延びました。
そして孫の代になり、長男の佐原経連が猪苗代の地頭になりました。
佐原経連は、領地の地名から猪苗代姓を名乗るようになります。
四男で弟の相原光盛が惣領となり、相模の本貫地から蘆名姓を名乗りました。
元々は兄弟から派生した両氏ですが、戦国時代まで度々戦をしています。
猪苗代経元の代で跡継ぎが絶え、蘆名本家から養子を迎えています。
養子に来たのは、蘆名盛隆の弟・猪苗代盛清です。
年代的には1500年代前半と思われます。

1588年、猪苗代盛国がクーデターを起こしました。

とは言っても隠居後で、家督を譲った筈の猪苗代盛胤を廃嫡。
猪苗代盛国は後妻の子・宗国を溺愛し、跡継ぎにしたのでした。
翌1589年、伊達正宗が会津に侵攻すると、伊達軍に寝返りました。
そして、すぐ近くの摺上原で伊達軍と蘆名軍が激突し、蘆名家が滅びました。
この時の功により、伊達政宗から準一家の地位を与えられています。

1590年、蒲生氏郷の城になりました。

豊臣秀吉の奥州仕置きにより、会津が伊達政宗から没収されました。
会津には豊臣秀吉の家臣・蒲生氏郷が入りました。
その後、会津の領主は上杉家→蒲生家→加藤家と変遷。
1615年に一国一城令が出ましたが・・・
猪苗代城は会津の重要な城として、例外的に存続しました。

1868年、廃城となりました。

明治維新後、会津は戊辰戦争の舞台となりました。
新政府軍が会津へ侵攻すると、城代は猪苗代城を焼き払い撤退。
鶴ヶ城に戻り、徹底抗戦しました。
戦は新政府軍が勝利し、猪苗代城はそのまま廃城となりました。


所在地:福島県耶麻郡猪苗代町古城町

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