雲雀城/福島県会津坂下町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
雲雀城は只見川沿いの断崖上にありました。
訪問日は2015年8月7日です。

【写1】雲雀城

地図を見て「確かこの辺だよな~」で来た場所です。
ごらんの通り立派な道が通っており、けっこうな下り坂となっています。
この道に入るとだんだん下り「こっちじゃない!」でUターンしました。
写真はUターン後、「あの辺か?」で撮ったものです。

【写2】雲雀城

目指す位置が定まれば、あとは地を這うだけですw
先ほどの道を登り直すと、脇に入る道が1本ありました。
この道は先ほどの道と並んでいますが、下りません。
未舗装デコボコ道の先に、何やら白い看板が見えますウインク

【写3】雲雀城

遠くからでも見えちゃうんですよね、こういうのラブラブ
流石に遠くからだと文字は読めませんが、大当たりでした。
よっしゃ!逝くゾ!と気合を入れて、説明板の背後を見ると・・・

【写4】雲雀城

夏、ですからクローバー

【写5】雲雀城

まぁでも、中は真っ暗だし杉林だしで突入。
杉はアレロパシーで他の植物を排除するらしいので。
読みは当たり、下草はほとんどありません♪

【写6】雲雀城

まずは明るい只見川側へ。
端には低い土塁が残っていました。
やっぱりここで合ってたんですねニコニコ

【写7】雲雀城

さらに奥へ進むと、何だか、様子が、変恋の矢恋の矢恋の矢

【写8】雲雀城

近づいてみると、深さ2、3メートルの堀がありました。
台地基部から、空堀で城域を分断しています。
ってことは、崖端城だったんですね!

【写9】雲雀城

空堀は、川沿いの断崖までそのまま続いていました。

【写10】雲雀城

空堀の台地側は直角に曲がり、奥へと続いていました。
いつもだと、堀底を歩いて堪能するのですが・・・
堀の中に杉が生えていないせいか、下草多めです。

【写11】雲雀城

という事で、堀は上から眺めるだけにしました。
曲がってから先で、堀はさらに深さを増しました。

【写12】雲雀城

堀の内側です。
単郭方形なので城内です。
「ふ~ん」は禁句ですw


◆歴史◆

城重則が988年に築いた会津八館の1つと伝わります。

城氏は、平安時代から鎌倉時代に越後で栄えた越後平氏です。
その城氏が988年に会津へ勢力を拡大しようと築いた拠点の1つです。
当時の呼ばれ方は?ですが・・・
城重則は当時会津を支配していた慧日寺と激しい戦を繰り返しました。
991年、城重則は慧日寺の斎藤宗顕に敗れ、十文字原で自害。
この時に後を追った加佐間七郎が、雲雀城の城主だったと伝わります。

戦国時代にも城として使われました。

天正年間(1573~92年の間)、渡部綱元が居城としたと伝わります。
「渡部綱元」って誰?でググってみましたが、ここを紹介するサイトのみ。
色々とネチネチ漁ってみると、会津では渡部姓が多いようです。
自民党の超大物・渡部某氏も、会津出身でした。
山内家の家臣にも渡部姓で、名前に「綱」が付く人物がチラホラ。
どの人物も名前だけなので、渡部綱元との関係や事績はサッパリです。
地理的に山内家臣はなさそうですが、その一族なんだろうという事に。


所在地:福島県河沼郡会津坂下町高寺

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