安田城/新潟県阿賀野市 | なぽのブログ

なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
新潟県内には同名の城がありましたが、こちらは揚北衆のお城でした。
訪問日は2015年8月5日です。

【写1】安田城

城跡の隣に体育館と公民館があり、車はそこに停めさせてもらいました。
ここから公園に向かうと、入口に説明板がありました。

【写2】安田城

その脇には、さっそく水堀がラブラブ

【写3】安田城

時計回りに歩いて行くと、反対側の水路に出ました。
城跡の脇に川があると「あ、堀代わりだ」なんて思いますが・・・
地図で見る限り、後世に通された用水路っぽい感じがします。
その元となる水路がかつてあったのかもしれませんが。

【写4】安田城

城内にはこんな感じで遊具もあり、普通の児童公園っぽくなっています。

【写5】安田城

でもやっぱり、周りを水堀が囲んでいる大人公園でもありますラブラブ

【写6】安田城

外周の水堀を時計回りに進み、元の場所に戻る手前の所です。
こうやって見たら、水堀というよりもただの湿地のように見えます。

【写7】安田城

でも、その内側にはちゃんと土塁もあります恋の矢


◆歴史◆

鎌倉時代に大見氏により築かれました。

大見氏は、源頼朝が旗揚げした石橋山の戦から従っていました。
やがて源頼朝が天下を取ると、大見家秀が白河荘の地頭となりました。
大見家秀・大見実政らはその後も伊豆で活躍したそうです。
その子孫がいつから越後に来たのかは?ですが・・・
地名から安田姓を名乗ったのは、大見家秀の孫・安田時実からです。
南北朝時代は北朝方として活動し、後に長尾為景に味方しています。
戦国時代には安田長秀が上杉謙信の側近として活躍しました。

1578年、蘆名軍に攻め落とされました。

御館の乱では、安田有重は他の揚北衆同様に上杉景勝に味方しました。
敵対する上杉景虎が蘆名盛氏を味方につけ、蘆名軍が攻め寄せました。
蘆名軍は、津川城主・金上盛備が大将となり越後へ侵攻。
この時に安田城が攻め落とされました。
安田城はその後、上杉景勝に返還されたようです。

1598年、村上頼勝の城となりました。

村上頼勝は、武田信玄を苦しめた北信濃の土豪・村上義清の子です。
村上義清は領地を奪われた後、越後へ移ったとされます。
その子・村上頼勝は丹羽長秀に仕え、加賀の小松城主となっていました。
丹羽氏改易後は豊臣秀吉の直臣となり、1598年に本庄に移りました。
安田城にはその家臣・吉武右近が入りました。

1622年、廃城となりました。

1618年、村上忠勝が家老同士の争いが原因で改易されました。
村上には堀直寄が入り、安田城もその支配下に置かれることとなりました。
しかし、1622年に一国一城令によって廃城となりました。
と、説明板には書かれていますが、一国一城令が出たのは1615年です。
一国一城令でも例外として残ったお城があったことはあったのですが・・・
安田城が例外として一時存続していたのかどうかは???ですあせる

1639年、城跡に安田藩の陣屋が一時置かれました。

堀直寄の次男・堀直時が3万石を分知され、安田藩が立藩しました。
その陣屋が安田城跡に築かれました。
安田藩はその次の堀直吉の代に領地替えとなり、村松へ移りました。


所在地:新潟県阿賀野市安田御城町(城ノ内公園)

新潟県の城跡/なぽのホームページを表示

なぽさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス