黒滝城/新潟県弥彦村 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
黒滝城は、上杉謙信が15歳の時に攻め落とした山城です。
訪問日は2015年8月5日です。

【写0】黒滝城

黒滝城は弥彦村にある山城です。
城跡に近づくと、道端に黒滝城の案内板が設置されていました。

【写02】黒滝城
案内図3枚を拡大表示

図は写りが悪かったので別の場所のものを載せています。
この案内板があるのは、県道麓野積線から大手道が分岐する所です。
(図の右下の辺りです)

【写03】黒滝城

大手道はバイクでは走れない、人が歩ける程度の山道です。
なのでそのまま北上して「林道黒滝要害線」からアプローチします。
名前は攻め辛そうですが、舗装されていて私のバイクでもokでした音譜
上の図はここで撮ったものです。
林道脇に、お城の説明板と城内へ通じる道があります。
ただし、ここには駐車出来ないので、更に奥へ進みます。

【写04】黒滝城

ここが黒滝城の駐車場です。
身の丈に合った広さです。
ここも貸し切りでしたラブラブ
それでも端っこに停めてしまいますあせる

【写05】黒滝城

駐車場から階段を登ると、間もなく弐ノ曲輪に出ます。
先ほど登城口を飛ばして近くから登ったので、かなりワープしています。

【写06】黒滝城

弐ノ曲輪にも、城内の散策路の案内図があります。
方位が描かれていませんが、駐車場が上で、最初の登城口が左です。
城キチ的には「やせ尾根(要注意)」がとても気になりますラブラブ
ネタバレすると、ここに堀切が3つあります。

【写07】黒滝城

弐ノ曲輪から更に階段を登ります。
山城はやっぱりこうでなくちゃ!…なんて思っていません。
山城は大好きですが、山登りはキツイので嫌いですw

【写08】黒滝城

息を切らして登り切った所が天神曲輪(主郭)です。
駐車場からの所要時間は7分でした。

【写09】黒滝城

一番奥の土盛りの上に、ちゃんと標柱があります恋の矢

【写10】黒滝城
案内図3枚を拡大表示

先ほどの写真ではとても狭く見えましたが…
真ん中に木が生えていたので、近くで撮らざるを得ませんでした。
上から見ると、結構広いです。

【写11】黒滝城

天神曲輪の土盛りの裏に、下りの急な階段があります。
帰りはここから下りました。
という事で、大連寺曲輪や吉傳寺曲輪は見ていませんあせる

【写12】黒滝城

天神曲輪裏の急坂は、とても大きな堀切でした恋の矢恋の矢恋の矢
デジカメでは全貌が入り切らず、iPhoneでパノラマ撮りました。
なんだか迫力無く写ってしまいましたが…

【写13】黒滝城

ちょっと引いた所から撮るとこんな感じです。
高さは7、8メートルあります。
パノラマ写真を縦に3倍位伸ばすと、肉眼に近そうな感じですw
ここが案内図で描かれている「壱ノ堀切」です。

【写14】黒滝城

そのまま「やせ尾根(要注意)」を進むと、ちょっと窪んだ所があります。
特に何も案内は出ていませんが、たぶん「弐ノ堀切」です。
次のが「参」なので、消去法でたぶんそうだと思いますあせる

【写15】黒滝城

そのままずんずん下って行くと、大きな谷間に出ました。
ここに「参ノ堀切」の案内がありました。
普通に谷間に見えるので、案内が無ければ気づかないかもしれません。
深さは20メートルもあり、新潟県内屈指の大堀切なんだそうです。

【写16】黒滝城

下りて来た道です。
普通に山道を下ってきた所に、大堀切の案内があります。

【写17】黒滝城

せっかくなので、反対側からも恋の矢

【写18】黒滝城

このすぐ下が、最初に見た登城口です。


◆歴史◆

現地にあった説明板の文面から、色々と掘り下げてみます。

鎌倉時代に小国氏が在城しました。

築城年代は不明ですが、鎌倉時代に小国氏が在城したそうです。
小国氏は鎌倉時代に小国保の地頭となった源頼連を祖とします。
小国頼連は『吾妻鏡』に登場し、強弓の武士として描かれています。
その後、南北朝時代には小国政光が南朝方として活動します。
下越地方の南朝方の中心人物として、天神山城や蒲原津城に拠りました。
しかし、1341年に北朝方と戦って敗れ、史料に現れなくなります。
以後の小国氏は、庶流が約6km北にあった天神山城で続きました。

1509年、大須賀志摩守が城主となりました。

大須賀志摩守は上杉氏の家臣だったようです。
この頃は、越後守護や関東管領の上杉氏が長尾為景と戦っていた時期です。
長尾軍により一度は奪われたものの、すぐに奪い返したとされます。
ググっても、この時の戦い以外に大須賀志摩守が登場せず…
この戦いは長尾為景が勝利したため、城を去ったのかもしれません。

黒田秀忠が城主となりました。

黒田秀忠は長尾為景の腹心だったそうです。
上杉定美の重臣・黒田長門守の養子となり、家督を継いでます。
状況からおそらく、長尾為景が上杉定美を守護にした頃と思われます
なので、時期は1507年から1510年頃にかけての事と思われます
いくらググっても何も出てこないので、推測ばかりになってますあせる

長尾景虎に攻められ落城しました。

1543年に長尾為景が没した後、長尾晴景がようやく実権を持ちました。
しかし、生来病弱だったため、揚北衆などの反長尾派が蜂起しました。
その乱の1つが、黒田秀忠による挙兵です。
ちょっとこの辺り、時系列があやふやなのですが・・・

1543年、還俗した虎千代が元服し、長尾景虎となります。
長尾晴景は弟・長尾景虎を、中越を抑えるため栃尾城に派遣しました。
その翌1544年、不穏な動きをしていた黒田秀忠が栃尾城を攻めました。
長尾景虎はここで軍事の才能を見せ、攻め寄せた黒田軍を撃退。
しかし、黒田秀忠は1545年に長尾晴景の弟・長尾景康と長尾景房を殺害。
そのまま黒滝城に戻り、挙兵しました。
長尾景虎は村山与七郎に黒滝城を攻めさせ、黒田秀忠は降伏しました。
しかし、翌1546年に再び挙兵したため、長尾景虎が出陣。
黒田秀忠は再び降伏したものの許されず、黒田一族は滅ぼされました。
その後は竹俣氏が在番した後、山岸光祐が城主となりました。

1598年、廃城となりました。

山岸氏は御館の乱で上杉景勝に味方し、会津移封にも従いました。
この時に黒滝城は廃城となりました。


所在地:新潟県西蒲原郡弥彦村麓

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