時水城/新潟県小千谷市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
時水城は、夏城と冬城のある山城です。
訪問日は2015年8月4日です。

【写1】時水城

時水城へ向かう時に、とっても目印になるのがコレです。
城跡へは、この近くの道を東から西へと進んで行きます。

【写2】時水城

城跡へ向かう道の途中、道端にひっそりとあります。
城キチアンテナMax状態なので、すごく目に飛び込んできましたけどw
コイツは、下の地図で右の方にで表示した所にあります。

【写3】時水城

その先に、突き当り的雰囲気バリバリな広い駐車場があります。
何かのお店があり、湧き水もあったような気がします。
・・・もう3年前なのであせる

【写4】時水城

広い駐車場に愛車を停め、ここからは徒歩で登ります。
未舗装路ですが、じゃじゃ馬な車ならそのまま走れそうです。

【写5】時水城

登り始めて2分ですが、もう冬城の案内が現れました。
あまりの早さに、ちょっと心の準備が・・・

【写6】時水城

さっきまでの登り坂を鋭角に戻る感じで進みます。
すでに道が水平ですw

【写7】時水城

そのまままっすぐ進むと、手造り感満載な橋が現れます。
「え~、これ渡るの?」と叫ぶのは、城キチもどき。
ここで叫ぶべきは「お、堀切ちゃんラブラブ」ですよw

【写8】時水城

その先には、とても眺めの良い削平地が待っていました。
確かに見張りには都合が良いのですが、ちょっと手狭な感じ。
堀切で隔てられてはいますが「え、これだけ?」と、思わず声が出ました。

【写9】時水城

晴れ真っ盛りの城巡りということで、山登りはしないつもりでしたが・・・
すぐ目の前に城跡があってそのまま帰るなんて、私には出来ず。
気が付いたら坂道を登っていましたw

【写10】時水城

冬城があっという間だったので夏城も、と思っていましたが・・・

【写11】時水城

かな~り登って「まだかな~?」と思っていた所に、これが現れました。
・・・あと、15分か(*´∇`*;)

【写12】時水城

こんな感じの道を、ひたすら登り続けます。
そういや、こっちは「夏城」でしたね。
確かに、雪の中をこんな所まで登れませんけどw

【写13】時水城

そんなこんなで昔の人みたく登り続け・・・
上に何かが見えて来ました!

【写14】時水城

屋根の端っこに「城山之?」と書かれています。
拡大してみましたが、改めて見ても字が読めず・・・
「城山に着いた」ことは何となくわかったので、ヨシとしましたw

【写15】時水城

その目の前には、あからさまな山頂が見えました(*´▽`*)

【写16】時水城

そのすぐ脇に、この案内がありました。
城山は城山でも、ちゃんと狙った時水城の山でよかったですw

【写17】時水城

ここに来るまで城跡らしさが全く感じられませんでしたが・・・
山頂にこれがありましたラブラブ
反対側からの視界を遮る土塁ですね!

【写18】時水城

そしてその裏には、三角形の曲輪がありました。
ちゃんと草が刈られており、形がハッキリわかります。
これが自然のままだったら、きっと土塁しか無いと勘違いしたでしょう。
ただ、本当にこれだけかと思って某大聖典をちょい見したら・・・
結構大きな城だったようで、脇に腰曲輪がちょこちょこ描かれています。
まぁ、現地ではわかりませんでしたけど。

【写19】時水城

一番高い所からの眺めです。
冬城とは比べ物にならない位に眺めが良いです^^


◆歴史◆

南北朝時代にはあったようです。

築城年代、築城者ともに不明です。
城主は南朝方の小国氏、北朝方・上杉憲顕家臣の曽根氏の説があります。
1336年、小国政光が足利尊氏方の軍勢に敗れています。
そして、戦国時代には曽根氏がココを拠点としていました。
小国氏→曽根氏という線もありそうな気がしますヒヨコ

曽根宗能が没落しました。

サイト様により年はまちまちですが、1552年か1553年頃のようです。
「曽根宗能が長尾景虎に叛いた」とされますが、内容は???ですあせる

当時は長尾景虎(後の上杉謙信ラブラブ)が家督を継いだばかりの頃です。
詳細は省きますが、相次ぐ内乱を病弱な兄に代わり次々討伐。
強い当主を望む家臣に担がれ、1548年に兄から家督を継いだのでした。

この時、両者を担ぐ派閥争いに敗れたのが、上田長尾氏の長尾政景でした。
対立していた古志長尾氏の長尾景信が発言力を増していました。
不満を募らせた長尾政景は1550年に挙兵。
長尾政景は敗れましたが、この時に長尾景虎の姉・仙洞院を正室に迎えました。
以後は長尾景虎に重く用いられるようになっています。

・・・詳細省いても長くなりましたw

曽根宗能は長尾政景の家臣でした。
討伐したとされる稗生城の平子氏も、立場は長尾政景に近いと思われます。
というのも、長尾政景と同じく長尾晴景派でした。
なので、ますます「叛いた」内容が?ですあせる

推測ですが、当時越後各地で発生していた小競り合いの1つだったかも?。
その調停を長尾景虎が直々にしたものの、従わなかったのかもしれません。
長尾景虎は1556年、家中のいざこざに嫌気が差して出奔しています。
・・・周りの状況から推測するしかありません。

その後の時水城については、サッパリわかりませんあせる


所在地:新潟県小千谷市時水

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