なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
山之口城は亀鶴三石城(きかくさんせき)とも呼ばれ、庄内十二外城の1つでした。
訪問日は2018年1月1日の最初です。

【写1】山之口城

城跡の西を流れる川の対岸にこの標柱があります。
この標柱の頭には、「100m→」がくっついています。
この川の土手が城跡だと勘違いされた事があるのでしょうか?w

【写2】山之口城

ということで、標柱と城跡のツーショットですラブラブ

【写3】山之口城

登城口は、城跡の下にある養魚場の一番手前です。

【写4】山之口城

ここを進むと

【写5】山之口城

目の前に堀切?があります。
というのも、この城の曲輪はどこでも3つだと紹介されています。
後で紹介する堀切が2つあるので、ここも堀切に数えると、曲輪は4つになりますあせる

別名の「亀鶴三石城」は、城の右を亀の尾、左のを鶴の尾と呼んだ事に由来します。
という事は、「三石」は「3つの曲輪」という事でしょうか?あせる

軌跡はここから虎口っぽい所を左に上がり、一周見て来ています。
きれい削平されており、私の目には曲輪のように見えました。
位置的にも城の入口に当たる所なので、何かしらの施設はあったはずです。

【写6】山之口城

この先はかなり草深いものの、歩いた跡が辛うじて見える感じです。
やがてやたらススキばかりの所に来ると、城の地形が窪みます。
高い所の間にある低い所なので、ここも堀切と思われます。
上がってカメラを構えましたが、全く絵にならず・・・クローバー

【写7】山之口城

城域自体はさらに続くので奥に進みたかったのですが・・・
ココから先は歩いた跡が見当たらず、細い竹が密生するこんなヤブとなります。
「楽しいかい?」と自問自答しながらヤブを掻き分けた、今年一発目の城跡探索ですw

【写8】山之口城

やがてまた、城の地形が低くなる所に出ました。
ここも堀切と思われます。
ちゃんと高い所と高い所を隔てていますのでw
それにしても、写真に収めるのがとても辛い所ですあせる

【写9】山之口城

城内に登る道など皆無なので、とりあえず手前の曲輪に5メートル程直登しました。
すると、堀切に沿って土塁が付けられていました。
ようやく城跡らしいものが見れて、とりあえずボーズだけは避けられました。

【写10】山之口城

曲輪の内部はこんな感じです。
木が茂っているので下よりも草は少な目ですが・・・
それでも、進んで歩き回りたいと思う感じではありません。

【写11】山之口城

土塁上から見た堀切です。
幅は10メートル弱で、底までしっかり掘り切っています。
ようやく堀切らしいのが1枚だけ撮れました音譜

【写12】山之口城

城塁をズリズリっと直降?すると、目の前に土塁がありました。
堀切の底の脇で見るのは珍しいのですが、下に虎口があったのでしょうか?
周りが周りなので構造がよくわからず、とりあえず見える所だけ撮りました。

【写13】山之口城

よし、最後の曲輪(主郭?)も攻めるゾ!と意気込んだのですが・・・
目の前の城塁はとても険しい上に、こんな感じで草木が複雑に絡み合っていました。
ある意味、これこそ難攻不落のお城ですねあせる


◆歴史◆

1336年、土肥実重により築かれました。

土肥実重は畠山直顕に従って日向に下向して来ました。
それ以外の事はサッパリわからず・・・
畠山直顕はこの年、足利尊氏により日向行きを命じられました。
日向に入った畠山直顕は、穆佐院と三俣院を真っ先に押さえました。
山之口城は三俣院に属しており、南朝方の肝付兼重を攻める拠点としました。
後に島津氏の城になったというのは、おそらく1358年の事と思われます。
畠山直顕はこの年に志布志で島津軍に大敗し、菊池軍に壊滅的惨敗を喫しました。

1495年、伊東氏の城となりました。

島津忠昌は1494年、大隅の肝付兼氏を討伐しようとしました。
しかし、日向の分家である新納忠武、北郷数久らが肝付兼氏に味方しました。
さらに、伊東尹祐までもが肝付方となったため、島津忠昌は和睦の道を選びました。
この時の条件が、三俣院1000町を伊東尹祐に割譲するというものでした。

1534年、北郷氏の城になりました。

北郷忠相は伊東尹祐の猛攻で、領地の大半を奪われていました。
一時は都城と安永城のみ、兵力800名という状態にまで追い詰められていました。
しかし、伊東尹祐が没して伊東家中が混乱すると、伊東氏と和睦し新納忠続を攻めました。
そして勢力が拡大すると、1532年には島津豊州家・北原氏と組んで伊東攻めを開始しました。
伊東家中が分裂状態の時期だったため、伊東軍は三俣院を守り切ることが出来ませんでした。
山之口城が北郷氏の城になったのはこの頃です。
その後、北郷氏はさらに勢力を拡大し、最大版図を築き上げます。

1595年、伊集院忠棟の城となりました。

北郷氏が祁答院に移され、伊集院忠棟の城となりました。
1599年に伊集院忠棟が斬殺され庄内の乱が起こると、庄内12外城の1つなりました。
しかし、乱の中で伊集院軍は守り切れず落城。
乱の後は再び北郷氏の城となりました。

1615年、一国一城令により廃城となりました。


所在地:宮崎県都城市山之口町山之口

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