奈佐木城/宮崎県小林市 | なぽのブログ

なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
奈佐木城は那佐木城、奈崎城とも表記されることのあるお城です。
Wikipediaと説明板では伊東48城ですが、某大聖典では伊東48城に含まれていません。
訪問日は2017年12月31日です。

奈佐木城は、Wikipediaの「伊東四十八城」ではリストアップされています。
私も当初は、ここに掲載されている所を中心に調べていました。
しかし、あれ?と思って数えてみると、49箇所の城がリストアップされていました。
Wikipediaさんてば、1つ多いwww
Wikipediaなのできっとどれかが間違いだと思い、今度は某大聖典を開きました。
見る順番間違ってたかもしれませんけどあせる

某大聖典第16巻206頁に「伊氏48城の分布図」として48城載っていました。
・・・誰だって間違いはあるさw
こちらでは、那佐木城も奈佐木城も書かれていませんでした。

まぁでもとりあえず、「・・・かもしれない」ということで訪ねる事としました。
だって、まだ誰も紹介したこと無いんですもの。
こういう所は無駄に燃えますメラメラ

さすがにだ~れも紹介したこと無いだけあって、場所を特定するのにとても苦労しました。
そして諦めかけた時に、チラっと引っ掛かる一文を見つけました。
それは「平成14年に公園化のため整備した」というものです。
そのために発掘調査も実施したそうで、その調査報告書がネットにアップされていました。
これが手掛かりとなり、訪ねることが出来ました。

【写1】奈佐木城

登城口は城跡の北側であることが判明し、だいたいの場所も特定出来ました。
それでどんな感じなんだろうとストビューで見て、たまたまこの標柱を見つけました。
これは城跡の北側の道端に立てられています。
何も知らずにこれを見ると、この田んぼが城跡だと勘違いしそうです。
宮崎の城跡では、城址標柱がよくこのような立て方をされています。

【写2】奈佐木城

城址標柱の背後には、こんな山があります。

【写3】奈佐木城

わかってる人の正しい見方はこうです。(よそも)
大きな木と城跡の山が重なってしまいます。
立てた位置にセンスを感じませんネw

【写4】奈佐木城

標柱の所から80メートル程進むと、右に入る道があります。

【写5】奈佐木城

この角に「奈佐木城址公園→」の案内があります。

【写6】奈佐木城

先ほどの交差点から230メートル程進むと、今度はこの建物が見えてきます。

【写7】奈佐木城

この建物の壁面に、小さくこんな案内が出ています。
ここが登城口です。

【写8】奈佐木城

ナビでは城跡まで道があるように表示されていたのですが・・・
入口にドーンとこんな物が置かれています。
明らかに行く手を阻んでいるのですが、立入禁止ではなさそうです。
車で楽々登城する気でいたのでガッカリでしたが、ここからは徒歩で進みました。

【写9】奈佐木城

ほらぁ~、あんな物置くから落ち葉積もっちゃってるじゃぁ~ん、なんて思いましたが・・・

【写10】奈佐木城

なぜ車が通れないようにしてあるのか、すぐにわかりました。
公園化のためアスファルトで舗装されはしたものの、誰も来ないため荒れていました。
舗装道なのですが、大半はヤブ搔きをしながら進むことになります。
真冬でなければ、ちょっと怖くてここ通れませんw

【写11】奈佐木城

やがて、草に埋もれた白い板が遠目に見えて来ました。

【写12】奈佐木城
説明板を拡大表示 ・ 左の図を拡大表示 ・ 右の図を拡大表示

ここはかつては駐車場があった場所で、トイレまであったようです。
今この状況では、どんなにお腹が痛くても、怖くて利用出来ませんあせる

【写13】奈佐木城

案内板のすぐ前には、立派な竣工記念碑までありました。

【写14】奈佐木城

その脇に、上がって行く階段があります。
ここまで来たら登ります(`・ω・´)

【写15】奈佐木城

「遊歩道」は予想通り、完全に草に埋もれていました。
小雨混じりのお天気だったので、傘で草を掻き分けながら登って行きます。
途中、調査報告書にあった腰曲輪があります。
ここも草に埋もれていますが、辛うじて平坦面があることはわかりました。

【写16】奈佐木城

これが「遊歩道」です。
正しくは「遊歩道跡」でしょうか。
ただ、かつて整備されたことが幸いし、道端に杭が打ってあります。
これが無ければ、山頂の主郭には辿り着くことは出来ませんでした。

【写17】奈佐木城

登り切った所で、奥になにやら白い物が見えます。
どうやらここが主郭のようです。

【写18】奈佐木城
説明板を拡大表示

せっかくなので、アップします合格

【写19】奈佐木城

主郭は全体的に草深いのですが、奥の方はそうでもありませんでした。
ということで、奥から見た主郭です。

【写20】奈佐木城

本当はここで終わって次へ行くはずでしたが・・・
見えちゃいました。
低いバリケードの奥にも平坦面が続いているのが。
えっと、これ、私がやったんじゃありませんよあせる

【写21】奈佐木城

主郭の奥は、5メートル程は同じ高さの平面が続いています。

【写22】奈佐木城

そこで1メートル程の段差があり、さらに奥へと続いています。

【写23】奈佐木城

50メートル程進むと、今度は目の前に土塁が現れました。
わーい、虎口?とその裏に回ると、やっぱりそうでした。
高低差は人の背よりも低いのですが、明らかに虎口です。

【写24】奈佐木城

さらにそこから30メートル程進むと、再び土塁が視界を遮っていました。

【写25】奈佐木城

上から見るとこんな感じですが・・・

【写26】奈佐木城

真横から見るとこんな感じです。
今度は人の背よりも高い高低差の堀切と土塁でしたラブラブ

【写27】奈佐木城

その先へ20メートル程進んだ所には、今度は1メートル程の段差があります。
写真は下から撮っていますが、主郭側の方が高くなっています。

【写28】奈佐木城

そこから先は緩い上り坂が続く細尾根になりました。
もう土塁も堀切も無くなったので、城域の外に出たようです。

Uターンして再び草を掻き分け、下の案内板を再び見ました。
右側の図に堀切が描かれていることに、そこでようやく気付きました。
普段からヒトの話を聞かないと、こういう所でもバッチリ損しています。
その図では、私が見て来た図の上の方だけでなく、右側(西側)にも堀切が描かれていました。
やってもうたと悔しがったものの、再びあの草むらを掻き分けて登り直す気にはならず…

という事で、これからココを訪ねるアナタ!
私が見落とした西側の堀切を、ぜひとも見て来て下さいあせる


◆歴史◆

戦国時代の城主は肥田木三郎兵衛尉でした。

説明板によると、1567年の城主が肥田木三郎兵衛尉だったと書かれています。
出典として『日向記』が記されていたので原文を見たかったのですが・・・
ネット上では見つからず。
超ものぐさなので図書館に出向く気にもならず、あぁそうか、で済ませますあせる

「肥田木」というと、すぐ北の須木城には「肥田木城」という曲輪があります。
米良重方以前には肥田木氏が城主だったと、どこかに書いてありました。
ということで、この辺りの武士だという見当だけはつきます。
他には、戸崎城の城主が肥田木四郎兵衛尉の名が思い出されます。
名前から、この二人は兄弟では無いか?と思われます。

1577年、島津家の城となりました。

説明板に書かれている年が1577年ですが、近くの須木城は1576年に島津家の城となっています。
これは城主の米良矩重が、積年の恨みから島津家に寝返ったためです。
米良矩重は須木城と小林城の城主であり、この時に野首城も島津家の城になっています。

一方、肥田木四郎兵衛尉が城主だった戸崎城は、1577年に島津家の城となりました。
肥田木四郎兵衛尉は1572年の木崎原の戦で戦死し、漆野豊前守が守将を務めていました。
戸崎城は福永祐友の管轄だったので、肥田木三郎兵衛尉も近い関係だったのかもしれません。

以後の城主が誰なのかは?です。
1615年の一国一城令により廃城になったと、説明板には書かれています。


所在地:宮崎県小林市須木奈佐木

宮崎県の城跡/なぽのホームページを表示

なぽさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス