なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
新府城は、甲斐国内では最大級のお城でした。
訪問日は2017年12月23日です。

大城郭なので、いつもの感覚で写真を選んだらエライ枚数になりました。
そのため、ちょっとケチな載せ方しますあせる

【写1】新府城
駐車場
【写2】新府城
東堀

知名度はかなり高め、ですよね?
七里岩ラインの県道17号沿いに、城キチ専用の駐車場が整備されています合格
かなりの台数が停められるのですが、土曜日のお昼前で私ともう1台だけでした。
貸し切りです( ・´ー・`)v

この駐車場から見て道の左側に、うっすらと凹んだ草原があります。
これが東堀の跡です。
新府城は平山城ですが、東と北は湿地帯を堀代わりにしていました。
パッと見て何となく堀跡っぽいな~と感じられました。

【写3】新府城

そして、駐車場から道の反対側には超気になる土の構造物があります。
これが東出構です。
その周りは城塁に沿って低くなっており、低湿地に突き出した状態になっています。
こんな感じの出っ張りが奥にもう1つあり、そちらは西出構と呼ばれています。
この2つの出っ張りについての説明板が、駐車場脇にあります。
・・・という事で、ここに載ってる図がコチラです。

【写4】新府城
東出構と西出構の間
【写5】新府城
西出構
【写6】新府城
北側の堀跡

東出構から西出構、乾門跡に至る城の北側は、広大な湿地帯が堀の役割を果たしていました。
そちらに沿って道もありましたが・・・私は湿地帯の跡を歩きました。
東出構から西出構の間は、城塁に沿ってちょっと凹んでいます。

東出構から150メートル程進んだ所にもう1つ、西出構があります。
こちらは東出構と違って、角が取れた自然な感じの形をしています。
東出構が復元、西出構が現存遺構という事でしょうか。

西出構の奥にも湿地帯の跡が続き、その先に乾門のある搦手の郭があります。
こちらは、遠目には東出構や西出構を大規模にした感じに見えます。
近づくと全然大きいんですけどねw

【写7】新府城
「北側の堀」の説明
【写8】新府城
搦手郭脇の水堀

搦手郭の前には、深くて立派な水堀があります。
その前に北側の遺構について詳しく書かれたモニュメントがあります。
せっかくなので、そこに載っている図をパクリます^^

【写9】新府城

水堀は幅が広く深そうで、ここを渡ろうなんて気が起きません。
新府城で見て来た中では最大の堀でした。

【写10】新府城
乾門入口の土橋
【写11】新府城
乾門の西側は断崖絶壁
【写12】新府城
乾門の枡形虎口(外側)

この水堀の一番奥が土橋になっていて、城内へと続いています。
ちらっと写っていますが、ここにも案内モニュメントがあります。
世間的には少数派ですが、北側から見た新府城の鳥観図が載っています。

土橋というと、一般的には堀を渡るように付けられた細道ですが・・・
ここの土橋の向こう側は、エライ断崖となっています。
つまり、城の西側は断崖絶壁により守られています。

この土橋を渡った所には、超カッコイイ土の門があります。
ここが乾門で、土塁で四角形に囲まれた枡形虎口になっています。

【写13】新府城

見事な土の造形に、しばらく留まって堪能しました恋の矢
ということで随分掛かりましたが、ここでようやく城内へ入りますあせる
土塁は枡形虎口の四方と、先ほどの堀沿いに続いています。

【写16】新府城
搦手郭から土橋を渡ります
【写17】新府城
土橋から見た堀
【写18】新府城
土橋を渡った所から見た搦手郭

土橋を渡って乾門の枡形虎口を入った所が搦手郭です。
搦手郭は外側の堀沿いに土塁が付けられた曲輪です。
内側にも堀があり、大規模な二重堀の真ん中が曲輪になったような感じです。
城内へは土橋を通って入ります。
外側からは土塁で見えませんが、内側からは丸見えです。
門を隠すようにあるので、馬出しの一形態だと思います。

【写19】新府城
搦手郭との間の堀
【写20】新府城
土塁
【写21】新府城
木橋の橋台

土橋は堀を渡るように通っています。
・・・当たり前ですけどあせる
つまり、搦手郭は外周の水堀と内側の空堀に挟まれた格好になっています。
これって、馬出しですよね?
なので、城内側には空堀に沿って土塁があります。
また、城内側から搦手郭の先端部にかけて、木橋の台の跡が残っています。
土橋だけでなく、木の橋も架けていたという事です。
出撃する時には土橋1本では滞りますからねw
でも、敵が攻めて来た時には簡単に外せそうです。

【写22】新府城
井戸跡の解説モニュメント
【写23】新府城
井戸跡
【写24】新府城
城内に上がる道

木橋の橋台からすぐの所に、コンクリート製のモニュメントがあります。
そこには井戸跡と書かれていました。
どこにあるんだろう?と思いましたが・・・
説明文でこの井戸は、直径32メートル、深さ4メートルと書かれていました。

ということで、このクレーターのような窪みが井戸跡です。
城の規模がデカイだけに、その井戸もまたスケールが大きいという事でしょうか。
この井戸の脇に、緩い坂道があります。

【写27】新府城
二の丸の入口
【写28】新府城
二の丸

ここを登ると、何となく周りを土塁で囲まれてるな~なんて感じになってきます。
いきなりですが、二の丸に出ます。
こちら側って、守りが薄いような気がします。

【写29】新府城
二の丸から本丸へ続く道
【写31】新府城
本丸は土塁で囲まれています

二の丸から道を土の壁が囲む如何にもな道を通ると、かなり広い場所に出ます。
ここが本丸です。
かな~り広いのですが、ちゃんと全周土塁で囲まれていますラブラブ

【写32】新府城
標柱
【写33】新府城
案内図と説明板

案内図を拡大表示 ・ 説明板の図を拡大表示

本丸は大部分が平地ですが、神社の周りが色々賑やかです。
真裏には新府城本丸跡の標柱、その背後に大きな案内図と説明板があります。
イラストの案内図は立体的に、説明板の図は平面的で配置がわかりやすいです。
どちらがいいかは好みだと思いますが、ここには並んで両方あります合格

【写34】新府城

本丸北側の土塁に沿って、武田家に仕えた有名武将の名前が書かれた標柱が並んでいます。
一番右にある石碑には「長篠役陣歿将士之墓」と彫られています。
そう言えば長篠の戦で戦死した武将ばかりですが・・・
その真ん中は、武田勝頼ですw
ま、主君を守ろうとして散ったのですから、これでいいんですよね!

【写35】新府城
藤武神社
【写36】新府城
藤武神社の参道

本丸の東側には大きな神社があります。
武田家本拠地の本丸にあるので、武田神社では?と思いましたが・・・
藤武神社と書かれていました。
名の由来は藤井庄と武田庄を前後に見下ろしているからだそうです。
やっぱりというか、社殿の真正面は麓まで一直線の石段があります。

【写37】新府城
シトミの構え
【写38】新府城
馬出の案内


本丸見たし、あとは丸馬出を見よう!
ということで、二の丸から西側の道を通って下ります。
本丸の西側に二の丸方向へ通じる通路があります。
・・・通路というより、時々草むらを人が通った跡と言ったほうがしっくり来ます。
そこに白い案内が出ていて、そこには「蔀の構」と書かれています。
蔀(シトミ)とは草むらの事で、わざと草を茂らせて内部を見えにくくしたものです。

蔀の構の下には、先ほど二の丸から本丸に入った道があります。
この道を反対方向に進むと、二の丸の脇を抜けて城の西側を南へ下って行きます。
その途中に「馬出」の案内がありました。
この向きは、元来た方にある事を示しています。
そんな案内無かったのに・・・
見ない訳にはいかない!ということで、二の丸へUターンしました。

【写40】新府城

案内図を見ると、馬出は二の丸の南西に描かれています。
分厚い土塁で囲まれた曲輪ですが、どこにも案内が出ていません。
二の丸の土塁上から南側の草むらを見ていると、何となく土塁に囲まれた空間に見えました。
ということで、これが馬出ですクローバー

【写41】新府城
西三の丸の案内
【写42】新府城
西三の丸
【写43】新府城
道の外側に見える横堀

気になっていた馬出を見てスッキリしたので、元の道に戻りました。
案内図を見ていると、道の東側に三の丸がある筈でした。
道から見えるのは果てしない大草原でしたが・・・
道端に「西三の丸」と書かれた案内がありました。
これが無ければ、多分だれにもわかりませんあせる
一方、道の反対側に目をやると、大きな堀が見えて来ました。
道の随分したですが、道に沿って堀と土塁が並行していました。

【写44】新府城
横堀と土塁
【写45】新府城
枡形虎口

道の右側(西側)に見えていた横堀は、道を下る程に近づいてきました。
そして、下り切ると堀と道が合流しました。
この道、元々は無かったようですねあせる

横堀の土塁はそのまま続き、先の方で開いていました。
土塁はこの部分が一番高くなっています。
その開口部に行くと、土塁で囲まれた空間になっていました。
枡形虎口です。
土塁に囲まれた空間って、サイコーに萌えますね恋の矢

【写48】新府城
丸馬出の土塁
【写49】新府城
その下にある三日月堀

丸馬出なのでまぁるく撮りたかったのですが・・・
見下ろせる位置は枡形虎口の土塁の上。
でも「土塁に登らないで下さい」と書かれていたので登りませんでした。
そう書かれていないと、きっとみんな登りますからね・・・
登りたかったw
という訳で、真横から見た丸馬出は、写真では何だかよくわかりませんあせる
その10メートル位下に、丸馬出の形に沿った三日月堀があります。

【写51】新府城

という事で、この日唯一撮ったパノラマ写真です。
丸馬出の土塁は高さ10メートル近くあり、三日月堀も50メートル位あります。
なんて書いても、二次元では限界がありますね・・・
ここに誰か人が写ってれば大きさもわかるのですが、この日、城内で誰にも会いませんでしたw

【写53】新府城
東側の帯曲輪
【写54】新府城
東側の帯曲輪

さて、見る物見たし次行こかー!と思いましたが、下りる道がなかなかわかりませんでした。
枡形虎口の東側に誘導するかのようにバリケードはあったのですが・・・
ちょっと草深く、でも「誰か歩いた、よね?」という感じの通路がありました。
その先が横堀っぽかったので、もちろんショートカットしましたw
横堀は幅5メートルくらいで、高さ1メートル程の土塁が付いています。

【写56】新府城
藤武神社の鳥居
【写57】新府城
参道入口の案内板と城址碑

帯曲輪の途中にある真っ赤な鳥居は、藤武神社のものです。
この前後に一直線の石段があります。
神社の参道って、全国的に真っすぐ山を突っ切りますねw
この石段の真上が、さっきここを見下ろした本丸です。

本当は帯曲輪をずっと進みたかったのですが・・・
すぐ下の道沿いに、大きな案内板っぽいのが見えました。
「あぁ、あれ見ないと後悔する・・・」と、謎の引力に曳かれて石段を下りました。
そして、道端にあるのがデッカイ案内板と城址碑です。
あんまりそれっぽく見えませんが、駐車場からここを通るのが正式な登城路のようですあせる
いっぱい載せているので、ここの図も載せちゃいます。

【写58】新府城

そのまま道の反対側に渡ると、地面がしわくちゃになっています。
ここは、城の東側の水堀の役割を果たした首洗池の跡です。
どうみても虎口にしか見えなかったのですが、これも池の構造物として築かれたものです。

かな~り長い距離歩いたと思っていましたが、GPSログの距離は3.3kmでした。
歩き回った時間が1時間20分なので、普段からするとかなりゆっくり歩いた計算です。
武田勝頼が新しい本拠として築き、完成間際で廃城を余儀なくされた未完の大城。
意外にもかなりしっかり遺構が残っていて、見応えバッチリな城跡でした恋の矢恋の矢恋の矢


◆歴史◆

1581年、武田勝頼により築かれました。

1575年に長篠で織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼は、勢力の立て直しが迫られていました。
遠江や駿河では徳川家康の侵攻を受け、織田・上杉・北条など敵対勢力に囲まれていました。
そのため、東西に伸びる七里岩の上に堅固な城を築き始めました。
この年の末、武田勝頼は躑躅ヶ崎から完成間近の新府城へ移り住みました。

1582年3月、武田家が滅亡しました。

2月に木曽義昌が織田信長に寝返ったため、武田勝頼は討伐軍を出しました。
すると、伊那と飛騨から織田軍、三河から徳川軍、関東から北条軍が武田領へ侵攻しました。
武田勝頼は新府城へ引き上げ、守りを固めましたが・・・
各地で寝返ったり逃亡したりで、武田軍にはもはや抵抗する力がありませんでした。

武田勝頼は新府城に自ら火をかけ廃城とし、小山田信茂の岩殿城へ向かいました。
しかし、小山田軍は行く手を遮り、背後からは滝川一益の軍勢が迫っていました。
そのため、武田勝頼は天目山で自害し、武田家は滅亡しました。

天正壬午の乱で徳川家康が本陣として再利用しました。

武田家滅亡の3か月後、今度は織田信長が本能寺の変により世を去りました。
甲斐・信濃の武田家旧領では、来たばかりの織田家臣を排斥する動きが活発となりました。
上野国の滝川一益や川中島の森長可は命からがら逃げ、甲斐の河尻秀隆は横死しています。

領主不在となった甲斐・信濃をめぐり、周囲の大名が切り取り次第の争奪戦を始めました。
これが天正壬午の乱です。
北条軍は上野国から信濃へ入り、南下して若神子城に本陣を構えました。
徳川軍は伊那・南部から攻め上がり、新府城に本陣を構えました。
結局両者は和睦し、甲斐・信濃が徳川領、上野国が北条領となりました。

2017年4月6日、続日本100名城に選ばれました。

2018年春にはスタンプラリーのスタンプが設置される予定です合格


所在地:山梨県韮崎市中田町

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