獅子吼城(新)/山梨県北杜市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


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獅子吼城への一番近い登城路は、ちょうど1年前から通れなくなりました。
・・・と、教えて頂きましたあせる
気温もいい感じに下がってお天気もサイコーだったので、代わりの登城路を見て来ました。
訪問日は昨日(2017年12月23日)です。

【写1】獅子吼城(新)

前回(2014年11月16日)に訪問した時の、旧登城口の説明板です。
これが獅子吼城への登城口の目印になっていました。

【写2】獅子吼城(新)

そして、こちらは昨日(2017年12月23日)見て来た同じ説明板です。
ちょっと装備品が増えています♪

【写3】獅子吼城(新)
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そいつをじっくり見てみると「通行できません」と、太字で書かれています。
しかし、その後ろの道は特にバリケードも無く、入ろうと思えば入れます。
その気は無くても、気付かずに入って行ってしまう人が居そうな気がプンプンしますが・・・
今このブログを読んで下さった方は、ここからは入らないで下さいネ!
ちゃんと書きましたからねw

【写4】獅子吼城(新)

ということで、まずは根小屋神社を目指します。
この辺りは道が細く、バイクといえども路駐が憚られるので駐車場に停めるためです。

【写5】獅子吼城(新)

神社から10メートル程先にある駐車場です。
バイクなので地面が心配でしたが、地面が固くスタンドを立てても大丈夫でした合格
雨上がりの時に訪ねる場合は、ペチャンコにつぶれた硬めの缶持参が良さげです。

【写6】獅子吼城(新)

前回訪問時は1匹も見かけませんでしたが、今回は沢山いらっしゃいました。
集落の中で人より沢山見掛けたおサル様です。
山梨の山城ではよく遭遇する野獣です。
テレビでは猿が人里に下りて来ると襲って来るなんて番組よくやってますが・・・
ここのおサル様達は大人しいようで、目が合っただけで逃げて行きます。
カメラ構えただけで逃げるので、木陰からの隠し撮りでようやく撮れました。

【写7】獅子吼城(新)

根小屋神社の境内で登城口を探していたら、城キチの大好きな白い板を見つけました。
これがあると確信していた訳ではなかったので、嬉しい外道です。
外道は「道を外れた者」ではなく、「狙っていたのとは別の獲物が獲れた」という方のです。
ニホンゴってムズカシイですw

【写8】獅子吼城(新)
拡大表示

せっかくなので、バッチリ載せちゃいます。
こちらのルートは下る時に通る予定でした。
逸る気持ちを抑えつつ、旧登城口で示された方へ向かいました。

【写9】獅子吼城(新)


【新登城路編】

下の地図で赤い線で示しているのが、こちらのルートです。
神社の前の道を南へ進み、Y字路の左(旧登城口へ向かう道)へ曲がります。
曲がってすぐの所から左側に公民館っぽいのがありますが、そこへは入りません。
道をさらに50メートル程進むと、コンクリート壁の切れ目があります。

【写10】獅子吼城(新)

ここから登ります音譜
案内のプレートが新しいので、旧登城路が通行禁止になった時に付けられたようです。

【写11】獅子吼城(新)

登城口に付けられた階段を登り、登城路を見上げた所です。
傾斜がキツイ上に大きな石が点在していて、いかにも険しそうな感じです。

【写12】獅子吼城(新)

上の写真でも写っていますが、こちらのルートにはこのようにリボンが付けられています。
このリボンは視界に入る範囲内にあり、主郭まで導いてくれます。
これが無くても迷いはしないでしょうが、かなり無駄な労力を使ってしまいそうです。

【写13】獅子吼城(新)

かな~り久々の山城登城だったので、10メートルおき位に息を切らしながら登りました。
あまりにキツかったので傾斜を撮ってみましたが。。。
普通ですか?そうですかw

【写14】獅子吼城(新)

登城路は道としては整備されておらず、かすかに見える踏み跡を辿る感じです。
一応は公に紹介されている登城路を歩いていますが、実感としてはほぼ直登ですw
ただ、先ほどのピンクのリボンがかなり効いており、歩きやすい所を登って行けます。
登って行くに従って、石ころの大きさがだんだん大きくなっていきます。

【写15】獅子吼城(新)

そして、頂上が見えるような高さまで登ると、所々に細長い平坦地が現れるようになります。
どうやらこれは、斜面に付けられた腰曲輪のようです。
腰曲輪と呼ぶにはかなり狭すぎるのですが・・・
他に呼び名が思い付きませんあせる

【写16】獅子吼城(新)

腰曲輪の周囲では、このような石積みが見られます。
前回はこちら側には来ていないので、またしても嬉しい外道ゲットですラブラブ

【写17】獅子吼城(新)

城域に入ったとはいえ、登城路らしい道筋は相変わらず不明瞭なままです。
あくまでも、案内に付けられたピンクのリボンを辿って岩場をちょっとずつ登りました。

【写18】獅子吼城(新)

大きな岩と岩の間をよじ登ると、主郭の一段下の腰曲輪に出ました。
ここから見ても、道見えませんけどw
登城口からここまでの所要時間は16分です。
結構辛かったような気がしたのですが、意外と時間はかかっていませんでしたあせる

【写19】獅子吼城(新)

主郭の説明板の所から、登って来た方を見た所です。
右奥の木にも、ピンクのリボン付いてますね合格
上から見ても登って来た登城路が見えませんでした。
下る時もピンクのリボンを追いかける感じになりそうです。


【もう1つの登城路へ】

こうしてこれから紹介はするのですが、こちらのルートはお勧め出来ません
主郭から虎口までなら下りて戻るのは大丈夫だと思いますが・・・
虎口から神社までの間は、道がほぼ全く見えないからです。
私が紹介したのを見て遭難されても困るので、自信が無い方は通らない方で下さい。

【写20】獅子吼城(新)

下の地図で青い線で示しているのが、こちらのルートです。
一石二鳥狙いなので、下りは神社へ通じる道を通りました。
神社で見た登城路は、城跡の直下で旧登城路と合流します。
そのため、主郭の端にあるこの石像脇の道を下りました。

【写21】獅子吼城(新)

とは言ってもこんな感じで、道はハッキリ見えません。
かつて一度登った事があるので、ここが通れることを知っていました。
反対側から初めて登った方には、こちらから下るのは容易ではなさそうです。

【写22】獅子吼城(新)

こちら側には先ほどの斜面とは比べ物にならない位、立派な腰曲輪が何段もあります。
しかも、その側面はこんな感じで、かなりしっかりした石積みで補強されています。
ここが獅子吼城の見どころの1つなので、これから登る方は大変かもしれません。

【写23】獅子吼城(新)

急な登城路を下り切ると、目の前に大きな土塁が現れます。
この土塁が、ヒトの動線を限定する大きな役割を果たしています。

【写24】獅子吼城(新)

その先にある虎口です。
前回は土塁に気を取られて気付いていませんでしたあせる
一度訪ねた城跡への再訪問はしないのですが、新たな気付きがあると嬉しいものですラブラブ

【写25】獅子吼城(新)

虎口を出てグルっと回り込むと、目の前に大きな竪堀が現れました。
これも前回見落としていました。
こんなデッカイのを見落とすなんて、どんだけ鈍感だったのでしょうwww

【写26】獅子吼城(新)

さらに、この竪堀の一番上に、道を補強する石積みまでありました。
この補強されている道が、旧登城路です。
ここからは神社へ向かうので、上にある土塁と下にある竪堀の間を北へ進みます。

【写27】獅子吼城(新)

なんて書いていますが、こんな感じで道はサッパリ見えません。
落ち葉で埋もれてしまったからなのかもしれませんが・・・
山城の跡に登るのは、葉っぱが落ちた後と相場は決まっていますよね?
私だけでしょうか・・・あせる

【写28】獅子吼城(新)

途中振り返って城跡方向を撮ったのがこれです。
やはりと言うか、下って来た道が見えません。
まぁでも、城キチ精神で「とりあえず高みを目指す!」で行けなくもありません。

【写29】獅子吼城(新)

何となくうっすらとした踏み跡っぽいのを辿ると、かなり特徴的な所に出ました。
神社にあった地図で、北側に尖がったルートのある細尾根のようです。
この左脇にはハッキリとした踏み跡が続いていたので、そのまま下へ進みました。

【写30】獅子吼城(新)

細尾根の先端近くまで下ると、すぐ下に民家が見えます。
道に迷って下って来たのなら、迷わずそのまま下りるのですが・・・
今回のミッションは、神社からの登城路を紹介することです。
誘惑に負けて真っすぐ下る訳にはイキマセン(`・ω・´)
とは言うものの、鋭角に曲がって神社方向へ進む道が見当たらず・・・

【写31】獅子吼城(新)

とりあえず、先ほどの細尾根を登り直しました。

【写32】獅子吼城(新)

細尾根の付け根辺りからも、下へ続くかすかな踏み跡があったような気がしたためでした。
ルートからは外れるかもしれませんが、ちょっとだけ斜面をまっすぐ下ってみました。
すると、途中にこんなのがありました。
落ち葉でほぼ隠れていましたが、人為的に凹まされた感じがします。

【写33】獅子吼城(新)

この凹みが真っすぐ神社の方向に伸びています。
どうやら、これが神社から上がって横方向に進む道のようです。
落ち葉が無ければ、こちらのルートもちゃんと見えるのかもしれません。

【写34】獅子吼城(新)

まっすぐな凹みを見つけて少しだけ勇気づけられましたが、またすぐに見失いました。
とはいえ、ここいらの斜面は傾斜が緩いので、どこからでも下りられそうな感じです。
iPhone様のGPSで確認すると、もう神社の真上まで戻って来ていました。
見えない道を探すのは諦めて、ここからまっすぐ斜面を下りました。

【写35】獅子吼城(新)

下った所には水路がありました。
水堀の跡ではなさそうですが・・・そうですか?
ジョーダンですw

【写36】獅子吼城(新)

下りた所はこんな感じで渡れるようになっていました。
左右を見渡しても、渡れる所はココ1ヶ所だけのようです。

【写37】獅子吼城(新)

渡った所から神社の上までウロウロしましたが、結局道を見つけられず。
やむなく、道端の空き地の所へまっすぐ下りました。
ここは神社から30メートル程南側の道端です。
・・・とまぁこんな感じで、神社ルートはほぼ道が見えませんでした。
ただ、どこからもまっすぐ下りられそうな感じでした。
こちらから登るのはお勧め出来ませんが、下る分には探検気分が味わえそうです。
でも、それは自己責任でお願いしますネ!


【歴史】 一度書いているので、そちらのを丸々コピペします。

築城年代は不明です。

獅子吼城は江草城とも呼ばれ、江草氏の城だったようです。
『甲斐国志』では、応永(1394~1428年の間)に江草信泰の居城だったと記しています。
江草信泰は甲斐守護・武田信満の三男で、備後の江草氏の養子になったようです。
そのため、江草氏の子孫は備後で栄えますが、江草信泰当人はずっとここに残ったようです。
なぜ遠く離れた備後に?なんて思いましたが、父の武田信満は甲斐と安芸両国の守護でした。
そして、なぜ甲斐に残ったのか?なんて思い色々ググってみると・・・
江草信泰は25歳で没したそうです。
病死なのか、戦死なのかは?ですが、行かなかったというより行けなかったかもしれません。

今井氏が城主となりました。

江草信泰の遺領は、甥の今井信経が「兵庫助」の名とともに継ぎました。
甥っ子(弟の子)ということで、今井氏も甲斐守護・武田氏の一族です。
今井氏はその子の代で表今井家と浦今井家に分かれ、獅子吼城は浦今井家の城となりました。
表今井家は兄・今井信乂の系統で、甲斐守護の武田家に付き従いました。
一方、浦今井家は弟・今井信慶の系統で、武田家とは事あるごとに反発しました。

1509年、小尾弥十郎が乗っ取りました。

いくらググっても、この前後の出来事は不明、としか出て来ません。
なので、勝手に推測しちゃいます。
だって、ブログですからw

浦今井家はこの年、諏訪頼満に攻められています。
この戦では、今井信是の弟・平三が諏訪軍により討ち取られています。
同じ頃、武田信虎は叔父・油川信恵を前年に滅ぼし、甲斐統一へ大きく前進していました。
しかし、大井氏や栗原氏など、まだ従わない有力国人も多く、不安定な時期でした。
もし、諏訪頼満が武田信虎に浦今井氏を挟み撃ちにしようと持ち掛けたらどうなるでしょうか?
小尾氏は津金衆に属する一族で、武田氏に従っていました。

もしかしたら小尾氏が獅子吼城を乗っ取り、野戦で諏訪軍が今井軍を叩いたのかもしれません。
今井信是は諏訪頼満と和睦し、その娘を今井信是の子・信隣の正室に迎えました。
直接戦っていた諏訪軍が勝ったため、城は今井信是に返されたものと思われます。

1532年、武田信虎に攻められました。

今井信是は、1520年に大井信達らとともに大規模な反乱を起こしました。
この時に武田信虎に大敗を喫し、降伏の条件として子の今井信元に家督を譲りました。

その今井信元も、1531年に飯富氏、大井氏、栗原氏らと共に反乱を起こしました。
この時は、姑の諏訪頼満からの援軍も来る本格的な挙兵でした。
しかし、2月に大井信業が討死し、4月には河原辺で連合軍が武田軍に大敗しました。
今井信元は獅子吼城に籠城して抵抗を続けましたが、翌年9月に開城し降伏しました。
この戦に勝った事が、武田信虎の甲斐統一達成とされています。
以後の今井信元の動向はよくわかりませんが、甥の今井信昌が武田家に仕えています。

1582年、後北条軍により改修されました。

織田信長により武田勝頼が滅ぼされ、甲斐・信濃にはその家臣がやって来ました。
しかし、その3か月後には本能寺の変があり、各地で織田家臣排斥の動きが激しくなりました。
そのため、織田家臣は命からがら逃げだし、中には河尻秀隆のように討たれる者もありました。
支配者が居ない空白地となった甲斐・信濃を、周辺の大名が奪い合う戦が始まりました。

甲斐では徳川家康が新府城、北条氏直が若神子城に布陣し、睨み合う状況が続きました。
その中で、北条氏直は若神子城の背後にあった獅子吼城を改修し、兵を置きました。
この時の獅子吼城の事が「江草小屋」と表現されており、既に城でなかった可能性があります。
徳川家康は服部半蔵と津金衆に獅子吼城の攻略を命じ、夜襲により陥落しました。
その後、徳川家康と北条氏直が和睦すると、獅子吼城は廃城となりました。


所在地:山梨県北杜市須玉町江草

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