直峰城/新潟県上越市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
直峰城は山城ですが、キチンと整備されているので真夏でもokでした。
訪問日は2015年8月2日です。

【写1】直峰城

ちゃんと整備されているせいか、案内が出ています。
案内の無い城跡ばかり行ってると、こういうのがたまらなく嬉しかったりします合格

【写2】直峰城

そして、その突き当りには立派な駐車場。
有名な山キチ聖地の登山口並に広くて立派です音譜

【写19】直峰城

駐車場奥に写っている公園の案内図です。
これを見ても、どこが城の何なのかサッパリわかりません雨

【写3】直峰城
拡大図

駐車場奥の小屋に掛かっている城の案内図を拝借致しましたキスマーク
公園の案内図とは対照的で、こっち1枚で十分な気がします。
世間的には少数派なのでしょうけどあせる

【写4】直峰城

登城路はこんな感じです。
階段が整備され、草も散策路ギリギリじゃなくかなり余裕をもって刈られています。
これなら、真夏に訪ねても安心ですね合格

【写5】直峰城

登り始めて2分で、「伝 上杉藤五郎房友殿御跡」と書かれて標柱が現れました。
「殿御」って何だろう?ってググってみると、女性が男性を敬って使う言葉だそうです。
・・・察するに、「御殿」の誤りでしょうか?
草が茂って狭く見えますが、もうちょっと広かったんじゃないか?と思います。

気になってググってみたのですが、上杉房友がどのような人物だったのかヒットせず・・・
ここから先に更に「〇〇屋敷跡」なんて出て来るので、身分は決して高くなかったようです。
それでも上杉姓で一番下?なんて、ちょっと混乱気味です。

【写20】直峰城

上杉藤五郎の屋敷前には、こんな感じの池があります。
山城の生命線である水の手でしょうか。
そこを任されるとなると、一番信頼出来る人物でなければなりません。
・・・そういう事にしておきます。

【写6】直峰城

さらに登ります♪

【写7】直峰城

上杉藤五郎の屋敷跡から2分登ると、今度は「堀田隼人正顕殿御跡」が現れます。
「堀田隼人」でググると、小説「赤穂浪士」の主人公なんて出て来ました。
越後に居たの?って、真に受けないで下さいねw
いらない情報ばかりヒットするので、「堀田正顕」でググると今度は反応ナッシング。
あまり史料には登場しない人物という事ですね。
それでも、城の中に屋敷を構えるという事は、当時ココではそれなりの人物だったハズです。
・・・そういう事にしておきます。

【写8】直峰城

登城路はさらに続きます♪

【写9】直峰城

堀田隼人の屋敷跡から登ること割とすぐに、今度は「家老 宅馬若狭守殿御跡」が現れました。
「殿御」ってここいらの方言なのだと思う事にしておきます。
家老という事は、城内ではかなりの地位ですよね?
今度こそ!とググってみますが、ヒットなしダウン
家老で何も出て来なければ、それ以下の人物など分かる筈ないですね・・・
ちょっとがっかりです。

実際に歩いて登るよりも、こうやって書きながらウダウダしてる時間の方が遥かに長いですw

【写10】直峰城

家老の屋敷跡からも、まだまだ登城路は続きます。
きっと家老は足腰のしっかりした人物だったんですね!

【写11】直峰城

家老の屋敷跡から4分程登り、ようやく二の丸に着きました。
登城口からは8分です。
これまで見た屋敷跡とは比べ物にならない位の広さです。
・・・比べちゃイケナイのかもしれませんがw

【写12】直峰城

さらに本丸方向へ進むと、今度は蔵の跡があります。
こちらも広いですねラブラブ
山城なので、日頃からちょいちょい運んで沢山貯めておくんでしょう。

【写13】直峰城

本丸のすぐ下です。
最後の防衛線だけあって、城塁が高くすんなりとは登れなさそうです。

【写14】直峰城

その真ん中にかなり大きな堀切があります恋の矢
これまではただ段があるだけでしたが、山城っぽくなってきました!

【写15】直峰城

ラストスパート!

【写16】直峰城

登城口から15分で、本丸到着です。
かなり広いですね!
毎度の事ながら、ここ本当に山の上?なんて感じます。

【写17】直峰城

本丸には、説明板や標柱、石碑など色々あります恋の矢

【写18】直峰城

モニュメント好きには嬉しい所ですね!


◆歴史◆

風間信昭により築かれたと考えられています。

風間信昭は信濃国出身で、南北朝時代には南朝方として活動しました。
新田義貞とともに南朝方のエース級で、北陸や信濃、関東にも出陣しています。
1352年の軍忠状を最後に史料に登場しなくなり、その後は子の風間長頼が継いだようです。
風間長頼はその3年後、北朝方の軍忠状にその名が記されています。

戦国時代は長尾氏の城だったと考えられています。

その後の城主等がわかりません。
長尾為景の家臣・吉田英忠が16世紀前半に城主を務めていました。
上杉謙信が関東へ出陣する際は、ここが通り道となり城に泊まったことがあるそうです。
1578年に始まった御館の乱では、上杉景勝方の武将が直峰城を守っていました。
そしてその後、直江兼続の父・樋口兼豊が城主となっています。

1598年、堀秀治の一族・堀光親が城主となりました。

上杉景勝が会津へ移され、代わって堀秀治が越後の主となりました。
直峰城にはその一族・堀光親が城主として入りました。
ただ、どんな人物だったのかググっても出て来ず???です。
家老が堀姓なので、上杉姓の人物が下の方に住んでいたのはこの頃かもしれません。
1606年、堀秀治が31歳で没すると、堀家は一気に衰えを見せます。
徳川家康による外様潰しの標的となり、1610年、家老どうしの争いを理由に改易されました。
直峰城はこの時に廃城となりました。


所在地:新潟県上越市安塚町安塚(安塚町森林公園)

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