焼山城/新潟県上越市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
焼山城は、通りすがりに見つけて予定外に訪ねた所です。
訪問日は2015年8月2日です。

【写1】焼山城

当日東から西へ走っていましたが・・・
道端に見えた1本の幟。
こんなに大きく「〇〇城跡」なんて出ていたら、行かない方が難しいです。
・・・ですよね?w
城跡へはここから脇道をひたすら道なりに進みます。

【写2】焼山城
拡大図

はい、頂きました(^人^)
この図を見てワクワクしながら城跡へ向かいました。

【写3】焼山城

道なりに山を登ること約2kmで、この案内が現れます。
ここからは徒歩での登城となります。
入口にある案内には、本丸跡約100mと書かれています。
山城なのに、かなり近い!とちょっとビックリ。

【写4】焼山城

その登城路です。
山城なのに、坂がかなり緩いです。
しかも、もう山頂が見えているような気が。

【写5】焼山城

そして、登り坂が緩くなったな~と思ったら、何か立っています。
もしかして、もう本丸?

【写6】焼山城
拡大図

もしかしての本丸到着でした。
ここまで要害性ゼロ。
あまりにあっさり着いてしまい、拍子抜けしました。
登城口からここまでの所要時間は、わずか2分でしたw

【写7】焼山城

本丸には味のある石碑がありました恋の矢
見た感じでは、江戸時代に置かれたもののように見えます。
もしかして、城主の子孫の方が設置されたのでしょうか?

【写8】焼山城

そして、新しめのもありますラブラブ

【写9】焼山城

アッサリ城跡に辿り着いたのはいいものの、今の所収穫は城址碑のみ。
何か遺構はないかな~?と見回すと、うっすらとした堀と土塁の痕跡がありました。
私が見つけた遺構らしいものは、これだけでした。

ただ、上に貼った2枚の図と地図の等高線をジっと眺めていると・・・
登った道は裏側で、図に描かれている段々の曲輪は通っていません。
また、本丸の右側に堀や土塁が描かれていますが、そちらにも爆弾
せっかく立ち寄ったのに、肝心な所だけ全部に落としていたのでしたあせる

これはリベンジせねば!と思ったのですが、遠いのでなかなかあせる
いつか100名城スタンプ目当てで新潟へ行く時に、立ち寄ってみようかと思います。

【写10】焼山城

登城口の近くには、上の図の「泥田堀」の一部が「じゅんさい池」として残っています。
この池は、城を守るために水をせき止めて堀にしていた名残だそうです。
説明板によると、地滑り防止のため水がたまらないよう工事をしたそうです。
その工事以降水量は激減したそうですが、それでもこうしてまだ一部が残っています。


◆歴史◆

1564年、宮島若狭守により築かれたと思われます

宮島若狭守はいくらググってもピクリともヒットせず。
現地の説明板でも「上杉謙信・景勝に仕え軍功があったが史料が無い」と紹介されています。
本丸にある図では初代城主が宮島若狭守吉房、1564~1593年と書かれています。
そのため、この年代に宮島若狭守がこの城を築いたか、配置されたようです。

高田平野周辺には、焼山城を含めて多数の城跡があります。
これは、高田平野には信濃へ通じる道あることと、春日山城があるからと思われます。
つまり、信濃からの侵攻を見張ったり、春日山城を守ったりするためなのでしょう。

宮島若狭守では何もわかりませんでしたが、宮島三河守は色々ヒットしました。
・川中島の戦いで活躍した
・御館の乱後、栃尾城代となる
・新発田重家方の新潟城攻略
・新発田重家の乱鎮圧後、新発田城に在番
などなど。
上杉景勝にかなり近い重臣だったようです。
宮島若狭守との関係は?ですが・・・あせる
活動した年代が近いため、もしかしたら兄弟なのかもしれません。


本丸の図では、二代目城主は宮島与八郎吉則と書かれています。
その年代が1593~98年のため、宮島若狭守の子と思われます。
こちらもググってもあんまり出ず・・・
ヒットしたのは
・上杉景勝が御舘の乱に勝利後、春日山城に在番した
・子孫の方が焼山城の狼煙を上げるイベントに参加されていた
ぐらい。

1598年といえば上杉景勝が会津へ移された年なので、この時に廃城になったようです。

狼煙のイベントは、2011年から始まった「にいがた狼煙プロジェクト」。
毎年10月に、新潟各地の城跡で狼煙を上げるイベントです。
何だか面白そうですね♪


所在地:新潟県上越市板倉区別所

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