鳥坂城/新潟県妙高市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
鳥坂城は高田平野を見下ろす山城でした。
訪問日は2015年8月3日です。

【写1】鳥坂城

鳥坂城へ行くには、高床山森林公園を目指します。
東の国道292号、北の県道584号に案内が出ているので、たぶん迷わないと思います。
ここには沢山の駐車場があり、歩きたくない城キチは第四駐車場を目指しました。
森林公園の中心部から未舗装路の先にある、広大なアスファルトの駐車場です。



私はここで1つやらかしてます。
それは、見つけていればちゃんとパクったであろうイイ図を見落としていました。
ちょっと悔しいので、最近ベッタリ頼り気味なストビューで見つけました。
ストビュー貼ってる時点でパクっているので、流石に大きな図は貼れませんあせる
(下の地図の左下にある印の所にあります♪)

【写2】鳥坂城

さて、第四駐車場の一番奥に、こんな案内板があります。
この案内図にしたがい、遊歩道を右へ進みます。

【写3】鳥坂城

駐車場から歩くこと3分で、烽火台跡に着きます。
こんなバス停みたいな目印があります。
この目印があるから「ああ、そうなんだ」と思いますが・・・
それっぽい遺構は見当たりません。

【写4】鳥坂城

敢えて言えば、とても眺めがいい場所です合格

【写5】鳥坂城

遊歩道をさらに2分進むと、道が二又に分岐します。
ここにこの案内があります。
それまでは草木が刈られた綺麗な道でしたが、ここから普通の山道になります。
山道を歩いていて「辿り着けるかな?」という不安はありませんでしたが・・・
こんな感じでちょいちょいと案内があります合格

【写17】鳥坂城

この分岐からわずか1分で、最初の堀切が現れますラブラブ
ここからが南曲輪です。

【写18】鳥坂城

ここからはちょいちょい堀切様が現れます。

【写19】鳥坂城

こんな感じに恋の矢
訪ねたのが真夏だったので草深く見えなかったのですが・・・
この辺りは道の両側に畝状の竪堀群があるそうですクローバー

【写7】鳥坂城

そうこうするうちに、ひと際大きな堀切様が現れましたラブラブ

【写8】鳥坂城

一番手前から、肉眼に近い感じで撮るとこんな感じです。

【写9】鳥坂城

これを、大好きな圧縮効果のある望遠側で撮るとこうなりますラブラブ
堀切がいくつも連なっていると、とても迫力があります^^

【写10】鳥坂城

その一番最後の堀切が一番大きいです。
堀底からの高低差はおおよそ7、8メートル程ありそうです。

【写11】鳥坂城

最後の堀切様を越えると、そこはもう本丸でした。
駐車場からの所要時間は19分です。
堀切にキャッキャはしゃぎながら歩いているので、あまり参考にはなりませんけどあせる

【写12】鳥坂城

反対側から見た城址碑です。
この城址碑は江戸時代末期の1861年に建てられたものだそうです。
大昔から、ここは城キチ達の心の栄養素だったようですメラメラ

【写13】鳥坂城

本丸から見た高田平野です。
とても眺めが良いです合格
山城を築く一大要素である「展望」は抜群ですね合格

【写14】鳥坂城

本丸の奥に一段低い曲輪があり、ここが二の丸です。

【写15】鳥坂城

二の丸から右側は段々に下っており、この下に「屋敷跡」があるそうです。
わたしはココから見下ろしただけで駐車場へ戻ってしまいました。
二の丸の一番奥に、もう1つ大きな堀切様が待っていたというのに・・・あせる

【写16】鳥坂城

そんな事も知らず「イイ物見ちゃったラブラブ」と足取り軽く引き返すワタクシ。
途中でタヌキを見つけて、またちょっとテンションを上げたのでした。


◆歴史◆

不詳です

上杉家臣の桃井左京が在城していた、とだけ伝わっています。
「桃井」というと、南北朝時代に越中で活躍した桃井直常が思い浮かびます。
桃井直常は足利一門で、上野国出身です。
1344年に越中守護となりますが、観応の擾乱で足利直義に味方します。
そのため、足利尊氏方となった越前の斯波高経と激しく争います。
そして1371年、越中の支配権を巡って斯波高経の子・義将と戦って敗れました。
その後は飛騨に撤退したとされますが、消息不明となります。

桃井直常の子孫は越中、能登、越後を中心に、上野にもいるそうで・・・
その中の一派が越中に近いこの地にも居たんだなぁなんて、ちょっと感慨深くなりました。


所在地:新潟県妙高市鳥坂

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