雨鳴城/山梨県南アルプス市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
雨鳴城も平安時代末の秋山光朝の城と伝わります。
訪問日は2015年4月26日です。

【写1】雨鳴城

城跡へは県道413号を走り、隆雲寺の所で北へ曲がります。
そこから400メートル弱走ると、左側にこの鳥居が現れます。
ここが登城口となります。

【写2】雨鳴城

神社への参道はこんな感じで、とてもよく整備されています。
山中の神社は忘れ去られて荒れてる所をよく見ますが、ここは大事にされているようです。

【写3】雨鳴城

参道を10分程歩くと、こんな所に出ます。
道らしい道が見えませんが、もしかしてここを登るのか?

【写4】雨鳴城

な~んて思い、iPhone様を取り出して現在地を確認しました。
私はGoogleマイマップに位置と予想ルートを登録して、こんな感じで使っています。
ターゲットはこの谷の右上か・・・

【写5】雨鳴城

谷は進行方向左側にあり、真正面はこんな感じです。
比高は20メートル程で、斜面はまぁまぁ登れそうな感じです。
これは真っすぐ登るか!なんて、ちょっと覚悟を決めかけました。

【写6】雨鳴城

いつもの悪い癖が出掛けた時、右側(立ち位置から見て城跡とは反対方向)に道が!
真正面の尾根には、この道から上がって行けました。

【写7】雨鳴城

右方向への坂道を登り切った所には、小さな神社がありました。
これが登城口にあった鳥居の主の天満宮です。
地図では平林天神社と書かれている所です。

【写8】雨鳴城

ここから再び城跡方向へ進みます。
尾根は高い方へ向かって真っすぐ伸びています。

【写9】雨鳴城

神社の所から5分程登ると、地形に変化が現れました。
何となくですが、虎口っぽく見えなくもありません。

【写10】雨鳴城

右側が何となく崩れてるなぁなんて覗き込むと、かなりの断崖絶壁でした。
中野城の所では載せていませんが、あちらもこんな感じの地形です。
どうやら秋山光朝の城を築く地形の条件は、細尾根を通り断崖に面した所のようです。
敵が攻めて来る方向を限定するためだった感じですね!

【写11】雨鳴城

そこの虎口っぽい所をどっこいしょと登ると、そこはかなり広い空間でした。
どうやら城内に入ったようです。
端に低い土塁が付けられているのが見えます。

【写12】雨鳴城

ズンズン奥まで進むと、低い土塁の終点が見えました。
その向こう側がチョット・・・

【写13】雨鳴城

窪んでいます。
土塁の脇の窪みということで、堀切のようです恋の矢

【写14】雨鳴城

その先にもう1つ、地面がボコっと凹んでいるのが見えました。

【写15】雨鳴城

さっきのよりも深い堀切ですヾ(*´∀`*)ノ

【写16】雨鳴城

と思いましたが、堀切ではないかもしれません。
反対側から来た道が切通し状に尾根をまたぎ、上に続いています。
たぶんですが、この道を通すために切通しにしただけかもしれません。
国土地理院の地図では、丁度城を横切るように道が描かれています。

堀切?のどちら側にも土塁がありませんし、ここで敵を防ぐような造りにも見えません。
堀切は敵兵の通行を妨害するためのものですからね・・・

私はうかつにもここで引き返してしまいましたが、この先に土橋があります。
そして更にそのまま進むと、この道は中野城へと続いているそうです。
そのため、雨鳴城は中野城の支城だったという説が有力です。


◆歴史◆

秋山光朝の城と伝わります。

秋山光朝は平安時代末期の武将で、甲斐源氏・加賀美遠光の長男です。
南東の麓にある秋山の地を与えられ、秋山姓を名乗るようになりました。

1180年、源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、甲斐源氏はいち早く参加。
各地の戦で主力となり、源頼朝の平家討伐に多大な功がありました。
しかし、それが源頼朝には脅威に映ったようです。

秋山光朝は弟・小笠原長清とともに、平家とはかなり親しい間柄でした。
しかし、源頼朝へ味方する時期がズレ、兄弟の間で処遇に天地の差が開きました。
秋山光朝は京に在って、なかなか平家討伐軍には参加しませんでした。
最終的には源氏方として参戦しますが、平重盛の娘を正室に迎えていました。
そのため、源頼朝は秋山光朝が従軍していた大将・源範頼に
「秋山光朝は平家や木曽に味方する悪者だから、領地など与えてはいけない」
と、1185年に手紙を送っているそうです。

その後、源頼朝は強大過ぎる甲斐源氏分断に乗り出し、秋山光朝は討伐されました。
といっても、その時期が???ですが・・・
地元の伝承では、鎌倉幕府軍に攻められた秋山光朝は、雨鳴城で自害したと伝わります。
ココがその地である可能性が高いですが、北西にある中野城も雨鳴城と呼ばれる事があります。

地名の由来は、雨が降ると山が「鳴る」ことに由来するそうです。
特に夏場は雨が降る前に必ず山鳴りがするそうです。
これを秋山光朝の霊の仕業だ、なんて言う人もいるとかいないとか。
現在でも秋山光朝を偲ぶ「雨鳴太鼓」や「ああ雨鳴山」という民謡が伝わっています。


所在地:山梨県南アルプス市落合

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