小田城/茨城県つくば市 | なぽのブログ

なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

今朝久しぶりに小田城跡に行って来ました。
訪問日は2011年6月4日と2017年10月8日です。

前回訪問した時は、城跡で重機がせわしく動き回る工事中でした。
はじめは破壊されているのかと思いましたが、真新しく積まれた土塁を見て安心。
「またいつか見に来なきゃ・・・」と思ってから、早6年が経ちました。
ほかにもそんな城跡がいくつかあったような・・・あせる
そんな小田城跡の、復元工事後の姿を見て来ました。

案内図
【写1-1】小田城
▲Before:線路跡が本丸を貫いていました
【写1-2】小田城
▲After:線路跡は堀までで、本丸内にはその痕跡はありません

まずは城跡の図から。
復元工事前には、1987年に廃線になった関東鉄道筑波線の線路跡が本丸を貫通していました。
前回訪ねた時は本丸が工事中で入れず、線路跡の様子はわかりませんでしたが・・・
説明板に載っている航空写真を見ると、見事に城跡を貫いていました。

その線路跡は、サイクリングロードとして今でも残っています。
現在は本丸の堀を渡った所で曲がり、土塁の外側を南に回り込んでいます。
どうせなら堀の外側にしてほしかったのですが・・・


説明板の位置
【写2-1】小田城
▲Before:本丸の北側にありました
【写2-2】小田城
▲After:南西馬出しにあります

縄張り図や航空写真が載った説明板は、2011年には本丸の北側にありました。
今では城跡の様子が変わり、新しい説明板がそこかしこにあります。
現状とは色々違うのでもう無いのかと思ったら、南西馬出しに移されていました。
これはこれで、復元工事前の様子を知る手掛かりとしてとても貴重です合格


本丸内部の様子
【写3-1】小田城
▲Before:工事中でした
【写3-2】小田城
▲After:綺麗に整っています

2011年に訪問した時は、本丸内部は工事中で入れませんでした。
復元工事後は、本丸の北側に掘と土塁が見事に復元されていました。
2011年訪問時は住宅街から堀も土塁も無く、本丸内部が丸見えでした。

【写4】小田城
▲本丸の北堀と土塁が復元されています

復元された北堀と土塁を、北西の外側から見た所です。


本丸の南東側
【写5-1】小田城
▲Brfore:土塁は無く、堀跡だけがありました
【写5-2】小田城
▲After:本丸と東曲輪に土塁が復元され、水堀になっています

ここも劇的に変わった所で、2011年には堀跡に沿って窪んでいるだけでした。
何となくここが堀跡なんだなーということで撮ったのが、上の写真です。
今回訪問して見ると、堀の両側に土塁が復元され、堀には水が張られていました。
ここは空堀ではなく、水堀だったんですね!


本丸南東部の物見櫓跡
【写6-1】小田城
▲Before:水堀でした
【写6-2】小田城
▲After:水は無くなりましたが、幅が広がっています

本丸南東端にある櫓台を外から見た所です。
前回来た時は水堀がここだけだったような記憶があります。
それで珍しくて撮っていました。
今回もやはり同じ場所で撮っています。
何年経っても同じ場所・同じアングルになるのは、成長が無いのでしょうか・・・あせる


本丸の東側(北東の櫓台より)
【写7-1】小田城
▲Before:堀跡がうっすら残っているだけでした
【写7-2】小田城
▲After:本丸・東曲輪とも土塁が復元され、水堀となっています

ここも前回と同じ場所から、同じアングルで撮っています。
今回は再訪問ということで、前回の写真を見ながら同じ場所を撮ろうかなんて思っていました。
そうしようと思っていながら忘れてそのまま訪ねたのですが、そんな準備は不要のようです。
立ち位置から角度、レンズの焦点距離までほぼ一緒ですwww


本丸内部の大溝
【写8-1】小田城
▲Before:工事中でした
【写8-2】小田城
▲After:園池域と建物域を綺麗に隔てています

前回と大きく変わっているのは外周だけでなく、本丸内部もです。
発掘調査の結果を忠実に再現しているのが嬉しいです。
はじめ「本丸の中に堀?」なんて驚きましたが、庭付きなんておしゃれな城です。


2011年と2017年の同じ場所の見比べは以上です。
前回は市街地の中に半ば埋もれかかった状態だったので、あまりよく見れていませんでした。
復元工事によりとても見やすくなり、前回見なかった所が沢山あることに気付きました。
ということで、前回見ていなかった所、見やすくなった所を続けて紹介します。

【写9】小田城

本丸の西堀です。
前回は丁度本丸の西側の土塁を工事中だったので、多分気が付いてなかったです。
北西の角から南を向いて撮っていますが、北側にも続きの堀跡があります。

【写10】小田城

本丸の北堀です。
ここは前回はまだ工事されておらず、凹凸すら無かった所です。
やっぱり、堀と土塁は1周してなんぼですねw

【写11】小田城

本丸の東堀を北東から見ました。
上でも紹介していますが前回は土塁が無く、堀跡の窪みに沿って草が生えているだけでした。
その光景から、こんな風景を脳内再生することは出来ませんでした。
まだまだひよっこですねヒヨコ

【写12】小田城

東曲輪です。
北から見ています。
北半分は草が刈られてフラットになっただけです。
南半分は土塁で囲まれ、それっぽさが断然upしています。

【写14】小田城

本丸の東虎口です。
ここに城址碑と案内図があります。
この城址碑は年代を感じますが、前回は見つけていません。
どこかにあったのでしょうが・・・

【写13】小田城

上の写真に載っている案内図です。
新しく復元されたせいか、いろんなタイブの案内図があります。
きっと沢山準備してどれも出来が良く、ボツにせずあちこちで使ったのかも。
・・・なんて光景を勝手に想像していますw

【写15】小田城

本丸内部の様子です。
カメラでは収まり切らなかったため、iPhone様でパノラマ撮影しました。
以前はただのフラットな草野原でしたが、今では土塁に囲まれ細かく復元されています。

【写16】小田城

東曲輪の南半分を、本丸の土塁上から撮りました。
土塁で囲まれた空間を上から見るこのアングル、たまりませんラブラブ

【写17】小田城

前回は全くノーマークだった南西馬出しです。
見ていないので以前がどうだったか???ですが・・・
現在は堀と土塁に囲まれ、外側はちゃんと土塁でシャットアウトされています。
土橋や木橋なども発掘調査の結果に忠実に再現されており、なかなか見応えがあります。
馬出しなので、土塁はもうちょっと高かったかもしれませんが。

【写18】小田城

南西馬出しから東側を見た所です。
南側は市街化されておらず、田んぼと畑が広がっています。
まだまだ手付かずの遺構が沢山残っています。
本丸の東堀も、以前は丁度こんな感じでした。
ここはこのまま残すのか、重機を入れるのか悩みどころですね。
・・・私が悩んでもしょうがないのですがあせる

【写19】小田城

最後に、前回は無かった案内所が出来ていました。
場所は本丸から西へ100メートル程の所です。
元々は常陸小田駅のあった場所です。
道が線路っぽさを感じさせます。

ここでパンフ類を頂こう!なんて思いましたが、自動ドアは反応せず。
ドアに貼ってある紙を見ると、開くのは午前9時でした。
私が自動ドアの前でクネクネしていたのが8時半・・・
早起きは三文の損になることもあるようです。


◆歴史◆
有名どころなので、ザックリで済ませます。
これをいつも通りやると、多分1ヶ月はかかりますあせる

1185年、小田氏の祖・八田知家が館を築いた。
1338年、北畠親房が小田城に入城し、南朝方の中心拠点となる。
1339年、北畠親房が「神皇正統記」を小田城で完成させる。
1341年6月、北朝の高師冬が小田城を攻めたが落城せず。
1341年11月、高師冬が小田城を和議開城させ、小田氏は守護職を失う。
1380年、小山義政の乱で小田孝朝は関東公方・足利氏満に従う。
1387年7月、足利氏満が小田城を攻め、小田孝朝は降伏。
1556年3月、北条氏康に攻められ小田城が落城。
1556年8月、小田氏治は小田城、海老ヶ島を奪い返し旧領を回復。
1564年、上杉謙信は後北条氏に寝返った小田氏治を討伐。
1565年8月、小田氏治が小田城を奪還。
1566年2月、上杉謙信に攻められ小田城が落城。
1567年、小田氏治が小田城を奪還。
1569年5月、佐竹義重が小田城を攻めるが撃退。
1569年11月、手這坂の戦いで佐竹軍に大敗し小田城が奪われる。
1602年、佐竹義宣が秋田に移され小田城は廃城となる。
1997年、発掘調査開始。
2016年4月、復元整備を一旦終え公開。


所在地:茨城県つくば市小田

茨城県の城跡/なぽのホームページを表示