なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
真篠砦は富士川の西岸にあり、遺構がバッチリ残っています。
訪問日は2015年4月26日です。

【写1】真篠砦

国道52号の「富栄橋西」交差点を西に入り、すぐに右折して登った所が城跡です。
集落の中の道を走っていると、道端にこの説明板があります。

【図】真篠砦
説明板の図(拡大)

せっかくなので、頂きますラブラブ
私自身は、真篠砦跡を訪ねる前にこの図を持っていませんでした。
そのため、ガッツリ描かれている大堀切を見ていません。
幅が20メートルもある巨大なものだそうなので、皆様は是非見て下さいあせる

【写2】真篠砦

説明板から更に道を進むと、右カーブの手前に駐車場があります。
道幅が狭く路駐する訳にもいかない所なので、とても助かります合格

【写3】真篠砦

駐車場の近くから山中へ入る道があります。
ちゃんと案内が付けられているので、安心して突入出来ます。
私はよく雰囲気を忖度して、全然違う山に登ってしまう事がよくあるのであせる

【写4】真篠砦

ただ、あまり通る人が居ないせいか、道は何とかわかる感じです。
はじめは平坦ですが、やがて土の壁に行き当たります。
ここから本格的な城域に突入です。

【写5】真篠砦

なんとなくこっちかな・・・で土の壁を登ると、こんな感じで数段の腰曲輪があります。

【写6】真篠砦

何段か腰曲輪を登ると、パッと開けた所に出ます。
私は斜めに登ったので、南側の虎口の所に辿り着きました。

【写7】真篠砦

主郭はかなり広く、高さ2、3メートルの土塁に囲まれています。
かなり広いので、土豪クラスの城ではないというのがすぐわかります。

【写8】真篠砦

土塁空間が大好きなので、グルッと1周堪能しました。
これは東側の虎口だったと思います。

【写9】真篠砦

主郭の次は、北側の馬出しを目指しました。
その間は緩い斜面を段にして、数段の曲輪が連なっています。

【写10】真篠砦

ちょっと進むと、こんな感じの笹ヤブに行く手を阻まれました。
何も知らずに来ると、ここで城域が終わりなんだと諦めてしまいそうです。
でも、少数派の方が通った痕跡が見えますよね?

【写11】真篠砦

2、30メートル程ヤブ搔きしながら進むと、その先にこんな場所がありました。
ここが馬出しのようです。

【写12】真篠砦

その入口は土橋で繋がっています。

【写13】真篠砦

土橋があるということは、ここは堀切ですラブラブ

【写14】真篠砦

さて、来た道を戻ろうかと藪を掻き分けました。
北の馬出しは主郭からちょっと下った所にあり、主郭へ戻るには登り直す必要がありました。
山城は大好きですが登り坂が大嫌いな私に、こんな誘惑が・・・
「主郭はもう見た」ということで、迷わず楽な方を選びましたw

【写15】真篠砦

その甲斐あってか、途中で派生する尾根をぶった切る堀切に出会えました。

【写16】真篠砦

正面からだとわかりにくいので、横顔も載せちゃいます恋の矢

【写17】真篠砦

そのまま主郭の東斜面を進んで行くと、行く手を阻むかのように斜面が崩れていました。
素直に竪堀があった!と書きたいのですが。。。
崩落したものなのか、人工的に掘ったものなのかの区別がつきませんでした。

【写19】真篠砦

曲輪の脇を進んでいたので、こんな城塁も見る事が出来ました。
横着するのも、たまにはいい事があるもんですねw

ひととおり城跡を堪能して駐車場に戻った所で、地主様と思しき方に声を掛けられました。
「中が荒れ放題で恥ずかしい」というような事をおっしゃっていました。
地主様は、訪ねて来た城キチがどんな感想を持ったのかに関心があるようでした。
私は「下手に手を加えるよりも、このままの方がいい」と答えたと記憶しています。
城跡の大半は私有地です。
城キチは、地主様の協力があって初めて成り立つ趣味だと実感したのでした。
全国各地の地主様、ありがとうございますラブラブ


◆歴史◆

築城年や城主は不明です。

『南巨摩郡誌』では、武田信玄の烽火台の1つだったと書かれているそうです。
現地説明板では、天文から永禄の頃(1532~69年の間)に武田信玄が築いたと書かれています。
城主は原虎吉で、川中島で武田信玄に斬りかかった上杉謙信の馬を槍で叩いた武将です。

1582年に徳川家康により改修されたと考えられています。

本能寺の変が起きた時、堺に居た徳川家康は伊賀越えで本拠へ逃げ戻りました。
この時ともに堺に居た穴山信君は途中で別ルートを選びましたが、途中で殺されました。
駿河と甲斐の間の富士川沿いは河内領と呼ばれ、穴山信君の領地でした。
穴山信君の嫡男・勝千代はまだ10歳だったため、徳川家康の庇護を受けました。
徳川家康は河内領に武田旧臣の駿河衆・岡部正綱を派遣しています。

岡部正綱は旧今川家臣ですが、徳川家康が人質だった時にとても親しかったそうです。
年齢も1つ違いということもあり、徳川家康は武田旧臣の中では特に信頼していたようですね!
岡部正綱は、天正壬午の乱で後北条軍を抑えるため、富士川沿いの多くの城を修築しました。
真篠砦は堀や土塁などが戦国末期っぽいので、この時に大規模な改修を受けたと思われます。

その後、間もなく徳川家康と北条氏政の間で和睦が成立。
甲斐は徳川家康の領地になることが確定しました。
駿河と甲斐の間にある真篠砦は、この時に役割を終えたものと思われます。


所在地:山梨県南巨摩郡南部町福士

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