なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
東福寺城も島津宗家が本拠としたお城でした。
訪問日は2015年6月14日です。

【写1】東福寺城

東福寺城は、多賀山公園の中にあります。
東から車で走ってくると、海沿いを走っていた国道10号を海側へ曲がります。
ここは錦江湾沿いにある山に築かれたお城でした。

【写2】東福寺城

こっち側は多分遺構ないだろな・・・なんて思いつつ、駐車場から左側へ登りました。
ここも東福寺城の曲輪で、浜崎城と呼ばれていたようです。
こちらは東郷平八郎エリアとでも呼ぶべきでしょうか・・・

【写3】東福寺城

お墓や銅像などがあります。

【写4】東福寺城

ここから東にある東福寺城跡へ向かいます。
途中、こんな場所があります。
・・・堀切、ですよね?
何でも城跡に結び付けたがるのであせる
ここは案内図の左上にある「桜花園橋」です。

【写5】東福寺城

案内図の真ん中にあるのが、桜の広場です。
かなり広い平たん地で、居館を置くには良さそうな場所です。
・・・w

【写6】東福寺城

ここから本格的に山城っぽくなります。
元々ある程度の高さはありますが、更に登ります。

【写7】東福寺城

途中で石垣を見つけました。
廃城時期が割と早いので、たぶんお城の遺構ではないと思いますが・・・
それっぽい石垣を見ると、一応何でも反応してしまうのですあせる

【写8】東福寺城

登り切った所は壇状になっており、その上に石碑が見えます。
ここが主郭のようです。

【写9】東福寺城

石碑は城址碑でした恋の矢
城址碑の脇には、お城についての説明板もあります合格

【写10】東福寺城

城址碑脇の木々の合間には、何やら石の壇があります。
よくみたら土塁のようですが・・・
ちょっと薄暗かったので、裏側は確認していません。
主郭なので、裏に堀切があるとは思いませんけどあせる


◆歴史◆

1053年、長谷場永純により築かれました。

藤原純友から4代子孫とされる鹿児島郡司の長谷場永純が築いたとされます。
三州では一番早く築かれたお城だとされています。

1343年、島津貞久が攻め落としました。

鹿児島郡司の矢上高純が南朝方として、この城に籠りました。
ほかに中村秀純や肝付兼重らも応援に駆け付け、北朝方の島津軍と戦いました。
中村秀純でググると「長谷場秀純」とも表記されており、長谷場永純の子孫と思われます。
矢上高純は催馬楽城主だったそうですが、こちらの城も1343年に落城しています。
「純」の字が付くので、やはり長谷場氏の一族でしょうね。

ググってみると1341年に落城というのも出て来ます。
谷山城に懐良親王が入ったのが1342年なので、鹿児島では激戦が繰り返されたんでしょうね。
東福寺城を手に入れた島津貞久は、日向に居た四男の島津氏久に城を守らせました。
意外でしたが、島津氏が鹿児島に拠点を得たのはこの時が初めてなのだそうです。

1437年、南朝軍に攻められ落城寸前まで追い詰められました。

南朝軍が島津軍の立て籠もる東福寺城を攻めました。
熊野水軍や中四国の水軍が南朝軍の応援に駆け付け、落城寸前まで追い詰めたそうです。
戦の経緯はサッパリわかりませんが、島津軍が防衛に成功。
翌年には逆襲に転じ、懐良親王は海路で肥後に移っています。

島津元久が清水城を築き、東福寺城はその詰め城となりました。

ググると、清水城は「1387年に築かれた」と書かれている所が多々あります。
某大聖典にもこの年で書かれていますが・・・ちょっと疑問です。
一城オタが大先生達に刃を向けるなど言語道断ですがwww

島津元久は島津氏久の子で、大隅守護でした。
一方、薩摩は1387年当時、島津師久の子・島津伊久が守護でした。
つまり「1387年」に「島津元久」となると、従兄弟の領地に勝手に城を築いたことになります。

島津元久が薩摩守護になったのは、1393年に島津伊久父子の争いを仲介した時です。
島津伊久は跡継ぎと仲違いし、甥っ子に守護職と家宝をあげちゃったんですw
なので、どんなに早くても1393年以降ではないかと思います。
島津伊久が築いたのならすんなり理解出来ますが、当時は川辺の平山城を居城としていました。

後に島津元久は島津伊久と対立しますが、その一因となったのが清水城の存在でした。
それは、薩摩守護を島津元久に与えたとはいえ、薩摩はまだ島津伊久の領地だったからです。
両者の対立は1400年に始まったとされるので、この時期なのかもしれません。
ただ、守護職を継がせた時に築き、仲違いした時に返さなかった、という可能性もあります。
なので、1393年から1400年の間じゃないか?と思います。
勝手な城オタの想像ですがあせる

廃城時期は明確ではありません。

清水城は島津元久から8代の間、島津宗家の本拠地となりました。
その後、1550年に島津貴久が内城を築きますが、その時も東福寺城が詰め城だったようです。
1601年になると、島津忠恒があらたに鶴丸城を築きました。
鶴丸城も内城と同じく平城で、その背後の上山城を詰めの城としました。
そのため、この時に東福寺城は役割を終えたと考えられています。


所在地:鹿児島市清水町

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