泉頭城/静岡県清水町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

泉頭城は湧水群で有名な柿田川公園となっています。訪問日は2014年9月20日です。

【写1】泉頭城
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泉頭城の跡には、柿田川湧水のある公園があります。公園にお城の図があったので、早速パクリました。この図を見ると結構残ってるように見えますが、結構潰されています。北曲輪、本曲輪から東曲輪、第六天曲輪、南曲輪は完全に道や住宅街となっています。この図を見ながら、下の地図にザックリと曲輪を書き込んでみました。現在見ることができるのは、西曲輪と舟付曲輪です。駐車場は本曲輪にあり、国道1号の下り車線からしか入れません。駐車場の奥の階段が堀跡だった事に、ついさっき気づきましたあせる

【写2】泉頭城

駐車場(本曲輪)奥の階段を下り、舟付曲輪へ入る所です。何となく城塁っぽいことに気付いて撮った、んだと思います。

【写3】泉頭城

堀跡かな?ということで撮りました。舟付曲輪と西曲輪の間にある二ノ洞だと思います。当時お城の構造がわからずに訪ねているので、かなりウル覚えですあせる

【写4】泉頭城

舟付曲輪の先まで「どこがどうだったんだろう?」と思いつつ見てきました。あとは順路に沿って行ける所まで行くのみ。城内に貴船神社がありました。両脇は急斜面で、ここだけは何となくお城っぽい地形が残ってると感じました。西曲輪にバラバラとある小さな平場の1つでしょうか。

【写5】泉頭城

最後に来たのは国道沿いにある芝生の広場です。一番上の図に赤く「現在地」と書かれている場所です。広い平地が広がっていますが、曲輪ではないんですね・・・一番まとまった平地だったので、当時はここが本曲輪だと思っていました。

【写6】泉頭城

この広場の国道寄りに、図のある説明板があります。この図を見なければ、ここがお城だったとは想像もつかないと思います。

【写7】泉頭城

最後に撮ったこの1枚。広場から駐車場に向かう間に撮った、んだと思います。何気に撮っていますが、この段差が本曲輪の城塁だったんだと思います。・・・もう、写真やめて動画にしようか?と思うぐらい記憶が曖昧ですあせる


◆歴史◆

弘治年間(1555~58年の間)北条氏により築かれました。

北条氏康が今川義元との領地境に築いたお城です。今川義元とは1536年と1545年に駿河東部を巡って争いました。それ以降は同盟を結んでいた筈です。また新たな火種でも出来たのでしょうか・・・?南にある戸倉城とは約1kmの至近距離にあり、柿田川でつながっていました。戸倉城の方が先に築かれていたので、その機能を補完するためなのかもしれません。城将には多目周防守と荒川清兵衛が入りました。

1569年、武田信玄が駿河に攻め込みました。

今川氏真との同盟を破棄し、武田信玄が駿河に攻め込みました。北条氏政は武田信玄からの今川領折半の話を断っており、今川家に援軍を送りました。武田軍は薩埵峠で北条軍と対峙しましたが、やがて甲斐へ撤退しました。

同年、武田信玄が小田原城を包囲しました。

武田信玄は周辺の各勢力と同盟を結ぶと、北条氏の本拠・小田原城を包囲しました。本気の城攻めという訳ではなかったようで、2、3日で包囲を解きました。北条氏政は撤退する武田軍を武蔵の弟達と挟み撃ちにしようとしましたが失敗。武田軍は、三増峠で北条氏照・氏邦の軍勢を破り、無事に甲斐へ退却しました。

1570年、武田軍が再び駿河へ攻め込みました。

満を持して武田軍が駿河へ攻め込み、田中城など駿河西部を完全攻略しました。さらに薩埵峠から東にも兵を進め、興国寺城周辺を除いて武田軍が占領しました。ここで北条氏政は武田信玄と和議を結びました。泉頭城は、武田領との領地境を守る最前線となりました。

1578年、武田勝頼と北条氏政が敵対しました。

越後であった御舘の乱をきっかけに、北条氏と武田氏は再び敵対関係となりました。武田勝頼は北条氏政との領地境に三枚橋城を築き、北条軍への備えとしました。

1581年、すぐ近くの戸倉城が武田方の城となりました。

戸倉城の城主・笠原政晴は北条家の重臣でしたが・・・他の重臣達が武田軍との戦で功を挙げるのに対し、すっかり出遅れました。そうしてついには「臆病者」とまで呼ばれるようになり、立場を失っていました。そこへ武田軍の沼津城代・春日信達の調略を受け、笠原政晴は寝返りました。僅か1kmしかない両城の間では、頻繁に戦闘が繰り返されるようになりました。

1582年、武田勝頼が滅ぼされました。

織田信長、徳川家康が連携して武田領に攻め込み、武田勝頼が滅ぼされました。戸倉城は北条軍が攻め落とし、再び北条氏の城となっています。

1590年、廃城となりました。

1590年、豊臣秀吉が北条氏政を討伐しました。東海道を下る豊臣軍を迎え撃つため、近隣の北条軍は山中城に集結しました。山中城は豊臣秀次率いる7万の軍勢が攻め、僅か半日で落城しました。この時に泉頭城の城兵も山中城へ向かい、北条氏滅亡後はそのまま廃城となりました。

1615年、徳川家康による整備が始まりました。

徳川家康が晩年の隠居城にしようと、泉頭城の整備に取り掛かりました。しかし、翌年没したため工事は中止となり、そのまま放棄されました。


所在地:静岡県駿東郡清水町玉川(柿田川公園)

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