安倍城/静岡市葵区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

安倍城は駿河一円を見渡せる山城でした。
訪問日は2015年1月25日です。

【写1】安倍城

安倍城への登城路はいくつかありますが、私は洞慶院から登りました。登城口はお寺の脇からなのですが、せっかくなので本堂だけ撮りました。ても、こうやって古い建物を見てると、居館のように見えてくるのは気のせいですあせる

【写2】安倍城

洞慶院の広い駐車場に、このように安倍城こっちの案内があります。ハイキングコースとなっており、訪ねる人が多いようですね。迷子スキル高めの私には、とてもありがたいものです。

【写3】安倍城

洞慶院の左脇にある登城口です。木や竹の杖ならよく見るのですが、ここではちゃんとした登山杖が置いてあります。太っ腹ですね!私は使いませんでしたが、最近伸縮式のヤツを1本買いました。カメラ用のネジが付いているので一脚代わりにしたり、ピッケルの代わりにしたりです。・・・書けば書くほど言い訳じみてくるので、この辺にしときますあせる

【写4】安倍城

せっかくなので、図も載せておきます。安倍城へのルートが少なくとも5つはありますね。私は山城大好きですが、キツイ登山は大嫌いです。ココは距離は長いですが、傾斜が緩いのかな?ということで選んでいます。

【写5】安倍城

途中に久住砦があるので、最初のピークでココか?と思いましたが・・・iPhoneで位置を確認するとまだまだずっと先。なんてことがありましたので、2つ目のピークでもまだ先かな?なんて思いました。

【写6】安倍城

久住砦には特に何も案内は出ていませんが、増善寺からのルートが合流します。その案内があったので「何か無いか?」と探し回りました。堀切で仕切るでもなく、土塁で囲むでも無く、ただ平らなピーク・・・かと思ったら、増善寺へ下る側に帯曲輪らしき段差がありました。帯曲輪・・・ですよね?

【写7】安倍城

久住砦を過ぎると、最初のピークと同じく一度下り坂となります。山城へ行くときに一番堪えるのがこれで、ピークからの下り坂はちょっとブルーになります。あんまり下らないでくれ・・・なんて、心の中で叫んでいますあせる

【写8】安倍城

坂を下り切ってしばらくは平坦な道が続き、やがて再び上り坂となります。山登りキラーイ山登りキラーイなんて心の中でブツブツつぶやき続けるのですが・・・その上り坂にこんな所があると、ふっと息を吹き返します。かなり痕跡的ですが、手前に横一線の堀跡のような窪みも見えます。

【写9】安倍城

一瞬元気にはなりますが、このロープ付きの急坂を見て再び意気消沈するのでありましたw

【写10】安倍城

しかし、ここまで来ればラストスパートです!再び坂を登り切ると、平坦な空間に出ました。ここは段差があるようで、先の方が一段高くなっています。この人工的な感じは、間違いなく曲輪ですヾ(*´∀`*)ノ

【写11】安倍城

その段差を最後の力を振り絞って登ると、向こう側の視界が開けています。しかも、何やら石碑らしき物体も見えます。間違いなく、今度こそ主郭に着きました\(^_^)/

【写12】安倍城

さすが南朝方のお城だっただけあって、古い時代の城跡にもちゃんとあります。どっちの味方でも、私にとってはとてもイイ物です合格

【写13】安倍城

主郭からの静岡市の中心部の眺めです。少し角度は違いますが、小瀬戸城よりも数段高さがあります。賎機山の向こう側にある駿府城もバッチリ見えます^^


◆歴史◆

南北朝時代に狩野氏により築かれたと考えられています。

他に候補もいないのですが・・・狩野氏は伊豆を本貫地とする有力氏族で、藤原南家流の工藤氏から分かれた一族です。遠江から肥後へ移った相良氏とご先祖様は一緒なのですね!

狩野貞長は建武の新政では、京の武者所に属して宮中の警護を担っていました。足利尊氏が建武の新政に叛旗を翻した後は駿河へ下向し、南朝方として活動しました。この頃に足利尊氏により今川範国が駿河守護に任じられましたが、駿府には入れませんでした。それは、南朝方の狩野氏らが激しく抵抗したためです。

狩野氏は麓の内牧城を本拠とし、その詰城として安倍城が築かれたようです。この他にも駿河各地に城や砦を構えて、西から攻めて来る今川軍と戦っていました。いつどこで戦ったのかよくわかりませんが、ググって拾ったのは以下の通りです。

1336年、今川範国が遠江、駿河の守護となる
1338年、今川範国が安倍城を攻撃
1344年、興良親王、宗良親王を安倍城に迎える。興良親王は短期滞在で吉野へ。
1345年、宗良親王が甲斐・信濃へ
1351年、手越河原で今川軍が勝利し、中野掃部介、入江駿河守が久能山へ撤退

狩野貞長は「狩野介」を名乗っていました。これは狩野氏の惣領であることを意味しています。伊豆に本拠のある狩野氏がなぜ駿河に?という疑問はありますが・・・どうやら梅ヶ島にあった金山が狩野氏のものだったようです。その後の状況もよくわからないのですが、1400年頃には今川氏が駿河を平定しました。

今川軍を相手に奮闘した狩野貞長ですが、お墓が内牧にあるそうです。刻まれた文字が判読出来ず、没年は不明のままです。


所在地:静岡市葵区西ヶ谷

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