なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
樽山城は遠州天野氏の東端の城でした。
訪問日は2015年1月10日です。

【写】樽山城①

樽山城への道は、事前に調べてもよくわからず。
ならば、自分で確かめて書こう!ということでチャレンジです。
完全に結果オーライです。
辿り着けなければただの山中迷子の旅でしたが、辿り着けました。
私が通った道は国道362号→太田林道→林道春野中央線→樽山林道です。
上の写真は、国道362号から太田林道に入る所です。

【写】樽山城②

小さなバス停と、ガッツリ錆びた太田林道起点の標識が目印です。

【写】樽山城③

太田林道は無事全線舗装路でした。
終点の標柱から右側へ鋭角に曲がります。
ここから春野中央線です。

【写】樽山城④

春野中央線も舗装されてはいますが、所々舗装が割れたり落石があったりします。
でも、何とかオンロードのバイクでも走れました。
1か所だけ路面が凍結していましたが・・・
バイクが何とか通れる幅で凍っていない所があり、無事通れました。
こんなのが何か所もあると、断念せざるを得ませんでした。

【写】樽山城⑤

道なりに走っていくと、てんてぐ村の看板がありました。

【写】樽山城⑥

そのすぐ脇にあるのが樽山林道の入口です。
私が訪ねた時には、工事中の看板が出ていました。
車両通行止めと書かれていますが、バリケードは無し。
城跡までもうすぐなので、バイク乗れる所まで乗ろう!ということで進みました。

【写】樽山城⑦

すると、坂を下った所にこの看板。
舗装工事やってるんだ!
しかも、完成予定が平成27年2月13日って・・・来るのが1か月早過ぎましたあせる
今頃は、お城の前まで綺麗に舗装されているハズです。
う・ら・め・し・や( ;∀;)へ

【写】樽山城⑧

ということで、舗装路の終点にバイクを置いて、ここから徒歩です。
登城口にある説明板までの所要時間は8分でした。

【写】樽山城⑨

舗装工事はだいぶ進んでいて、砂利が綺麗にプレスされた状態でした。
あとはアスファルトを敷いて固めるだけ。
こんな情報、どこ探しても出て来ませんからねあせる
知ってれば、完成を待ってから来てました。
・・・と、独り愚痴りながら歩いている内に、城跡が見えて来ました。

【写】樽山城⑩

城跡の前はがっつり削られて、かなり広い平地になっていました。
お城があった頃はどうだったのでしょうか。
堀切の1つや2つはあったのではないかと思います。
奥の方に見える白い板は、樽山城の説明板です。
城キチには、十分過ぎる位りっぱな目印です!

【写】樽山城⑪

説明板から見上げた城跡です。
斜面が急ですね・・・
でも登ります(`・ω・´)

【写】樽山城⑫

途中、こんな感じに削平された所がありました。

【写】樽山城⑬

だいぶ登ったな~、という所で行き止まり?
でも、この土の壁を回り込むように道が続いていました。
虎口でしょうか。

【写】樽山城⑭

という間にコレ登場。
どうやらここが主郭のようです。
下の説明板からの所要時間は6分でした。
・・・ここに来るまでが大変でしたけどw
その先にも城域が続いていたので見て来ました。

【写】樽山城⑮

西に向かって細尾根を下るような感じで道のようになっています。
その途中に、ボコっと削られた堀切があります。
やるならもっと思い切りやればいいのに?って思いますが・・・
たぶん、川の水を汲んでくるための道かもしれません。
何も備えが無いのはどうか?ということで付けられたのでしょうか。

【写】樽山城⑯

その先もなだらかに細尾根を下る道は続いていました。

【写】樽山城⑰

またしても堀切っぽい所がありました。
自然地形かもしれませんが・・・
角度が急なので、下から登るのにちょっと苦労しそうな感じです。
この先は傾斜がさらにキツクなるので、城内探索はここまで。
ここから川の水を汲んで来るのは、ちょっと無理かもしれませんあせる


◆歴史◆

遠州天野氏東端のお城でした。

築城年代は不明です。
樽山城は犬居城主・天野景貫の城でした。
天野景貫は今川義元に仕えていました。
今川義元が桶狭間で討死した後も、今川氏真に仕え続けていました。
1569年に今川氏真が徳川家康に滅ぼされた後は、徳川家康の家臣となりました。

しかし、それから間もなく武田信玄に鞍替えしました。
ここら一帯では徳川・武田の争奪戦が激しさを増していました。
西隣の奥山氏では家中での対立により、武田派が勝利していました。
天野氏の領地は西・北・東が武田領に接していたのでした。
天野景貫は周辺勢力も武田方に誘い、三方が原の戦では先導役を務めるなどしました。

1574年、天野景貫が徳川家康を撃退しました。

1574年、武田信玄の死が明らかになると、徳川家康が反撃に出ました。
三河では長篠城を奪還し、奥平氏らを寝返らせました。
そして、一度は従って武田方に寝返った北遠の雄・天野氏を攻めました。
徳川軍は天野氏の本拠・犬居城を攻めましたが・・・
気田川の増水により城攻めが停滞し、兵糧も不足したため徳川軍は撤退。
天野軍は樽山城など支城の兵も総出で、退却する徳川軍を追撃しました。
徳川家康は命からがら、武田軍から奪還したばかりの天方城へ逃げました。

この退却戦での徳川家康にまつわる伝承が、森町に2パターン存在します。
全部書くととても長くなるので、ザックリ書きます。

①三倉の庄屋・三倉久右衛門が、足を鉄砲で撃ち抜かれた徳川家康を蔵に匿った。
 後に将軍となった徳川家康は、三倉久右衛門に葵紋の使用を許した。
②三倉の百姓・三倉久右衛門が、刈った草の山の中に徳川家康を匿った。
 後に将軍となった徳川家康は、見渡す限りの田畑を三倉久右衛門に与えた。

言い伝えに登場する三倉久右衛門は、武士ではないんですねw

1576年、樽山城が落城しました。

長篠の戦で武田軍を壊滅させた徳川家康は、再び武田方の天野氏を攻めました。
今度は前回の反省を活かし、犬居城の支城から潰す作戦に出ました。
最初に狙われたのが樽山城でした。
樽山城は駿河に通じる街道を押さえる要衝で、武田軍の援軍の入口でもありました。
樽山城を失った天野氏は、本拠の犬居城を捨てて勝坂城に籠りました。
しかし、圧倒的な兵力差の前にはどうすることもできず、甲斐へと落ち延びました。

安部元真、三倉定次らが城番となりました。

樽山城は天野氏追放後も存続し、武田勝頼の反撃に備えました。
城番は今川旧臣の安部元真や、近くの三倉城主・三倉定次らが務めました。

三倉定次は三倉久右衛門の事です。
・・・この人いったい何者でしょうか?w
江戸時代、三倉氏は森町の庄屋だったそうです。
言い伝えの①か②辺りが妥当な気がします。

1582年、武田勝頼が滅ぼされ、徳川家康が甲斐・信濃を領地に加えました。
これにより外敵に備える必要がなくなったため、廃城になったと思われます。


所在地:静岡県浜松市天竜区春野町田河内

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