なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
鴨江城は「城」と呼ばれていますが、実はお寺です。
訪問日は2014年8月7日です。

【写】鴨江城①

城キチが「鴨江城」と呼ぶ鴨江寺は、浜松市内の市街地にあります。
細い道でも交通量が多く、しかも迷いながらでちょっと大変だったような記憶があります。
敷地に入ってしまえばこちらのもんですがw
日も暮れかかるような時間帯でしたが、鮮やかな紅が綺麗でした^^
門や塀に何となくお城っぽさを感じますラブラブ


◆歴史◆

702年、芋ほり長者が勅願所として観音堂を建立しました。

芋ほり長者には、以下の伝承が残っています。
かなりはしょりますが・・・

・奈良に住んでいた美女が、錦の小袋を渡され東へ旅しろと、神様の御告げの夢を見た。
・遠江の野原で日が暮れてしまい、芋ほりで生計を立てる貧しい家に泊めてもらった。
・貧しいながらも、この家の主人は誠心誠意美女をもてなした。
・美女が錦の小袋を家の主人に見せると、主人も同じ小袋を持っていた。
ドキドキ
・二人で力を合わせて働き、次第に裕福になった。

といった感じです。
はしょり過ぎましたでしょうか?w

「勅願所」というのは、天皇の許しを得て建てられた庶民の安寧を願う神社です。
芋ほり長者は、自身の幸せな境遇を神仏に感謝するために観音堂を建てました。
これが鴨江観音の始まりだそうです。

平安時代に比叡山延暦寺と争いました。

鴨江寺周辺には300余りの宿坊が建ち並び、とても栄えていました。
この頃、戒壇(かいだん)設置を巡って、比叡山延暦寺と争いになっています。
「戒壇」とは結界を張った神聖な場所で、ここでなければ出家して正式な僧になれません。

日本初の戒壇を設けたのが、754年の東大寺でした。
しかし、中国仏教界からは認められていませんでした。
戒壇とは、それ程までに権威を独占できる代物だったのですね。

比叡山延暦寺が戒壇を設けたのは、822年のことです。
この頃もまだ戒壇のある寺院は限られていました。
しかし、時代が下ると全国各地に戒壇を設ける動きが出てきました。
鴨江寺が戒壇を作ろうとしたのも、こうした動きに乗ったものと思われます。
朝廷に戒壇設置の許可を得ようとしましたが、延暦寺がこれを阻止。
埒が明かないということでしょうか、鴨江寺は勅許を得ないまま戒壇を作りました。

これに反発した延暦寺は、僧兵を出して鴨江寺に対し実力行使に出ました。
この時に戦った所には、「鎧橋」や「血塚」という地名が残っているそうです。
比叡山延暦寺とやり合う程、人を集めて戦うだけの勢力があったという事ですね。

南北朝時代に南朝方として戦いました。

お寺・・・なんですけどねw
後醍醐天皇の綸旨が下され、鴨江衆徒が蜂起しました。
この頃は、井伊道政が後醍醐天皇の子・宗良親王を奉じて南朝に味方していました。
そのため、遠江西部はほぼ南朝方だったんですね。
北朝の足利尊氏は、1339年に高師兼・高師泰・仁木義長などに南朝方の討伐を命じました。
鴨江寺を攻めたのは高師兼で、わずか5日で陥落してしまいました。
高師兼はさらに千頭峯城を降し、宗良親王の籠る三嶽城攻めに加勢しました。
三嶽城も陥落し、遠江での南朝方の活動は終焉を迎えました。
宗良親王は越後、越中へと落ち延び、最終的には信濃国大河原に落ち着きました。

戦国時代には善光寺如来がありました。

善光寺如来は日本最古級の仏像です。
その歴史はとても古く、天竺から百済を経て、百済王から贈られたものだそうです。
日本に来たのが西暦552年ですw

これだけ古いと色んな事があるもので・・・
仏教が日本に伝わった頃は、まだ新興宗教的な扱いで反対する勢力がかなりありました。
そのため仏教反対派により寺が焼かれ、善光寺如来は一時捨てられていた時期がありました。
これを見つけて持ち帰ったのが、信濃国司の従者として上洛していた本田善光です。
本田善光は善光寺如来を持ち帰り、信濃国伊那に元善光寺を建てて如来像を祀りました。
その後、642年に皇極天皇により伽藍が造営され、現在地の善光寺に遷されました。

ここまででも波乱万丈ですが、仏像に興味無いですよね?
歴オタとしては、色々あった出来事が面白いので、つい根掘り葉掘りつついてしまいます。

さて続きですが・・・

信濃国善光寺は、創建以来11回も火災に遭い、その都度再建されてきました。
11回も燃えたお寺って、ある意味お城よりも壮絶な歴史の持ち主ですあせる
戦国時代、この近所で武田信玄と上杉謙信が何度も大きな戦をしました。
世にいう「川中島合戦」です。
善光寺も兵火に遭って何度も焼かれたため、武田信玄が甲斐善光寺を建てて移しました。

長くなりそうなので、以下ザックリ書きますが・・・
・1582年、武田勝頼滅亡→織田信忠が岐阜の伊奈波善光寺へ
・1582年、本能寺の変→織田信雄が尾張の甚目寺へ
・1583年、織田信雄が徳川家康に譲り、遠江の鴨江寺、後に甲斐善光寺へ
・1597年、豊臣秀吉の命令により、京の方広寺へ
・1598年、死の床で豊臣秀吉が善光寺如来の祟りを恐れて、善光寺へ

とまぁ、日本で一番あちこちに遷された仏像ではないでしょうか。
その後は秘仏中の秘仏として、善光寺の住職ですら拝むことが出来ない存在となりました。
そんな感じだったので「本当にあるの?」と思われるのも不思議ではなく・・・
一度だけ、江戸幕府の代官がやって来て寸法を測ったことがあったそうです。

二度焼失した後、現在に至ります。

鴨江寺は1608年に火災で焼失しましたが、1616年に徳川家康により再建されました。
江戸時代に一度大改修が行われましたが、1945年に空襲により再び焼失しました。
現在の伽藍は1947年に再建され、1987年に改修されて現在に至ります。


所在地:静岡県浜松市中区鴨江4丁目

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